デーヴァダッタ・パトナーヤク「インド神話物語 マハーバーラタ」657冊目

ヨガも瞑想も、いろんな流派があって唱えるマントラも違うしアーサナの流れも違うんだけど、源流にあるのは「ヴェーダの知識」らしい。クリシュナというヒンズー教の神様の名前を唱える流派も多い。いったいクリシュナというのは何をした方なのか。ジーザスやブッダのことはうっすら知っていても、クリシュナのことはまったく知らないので、何を読めばわかるのか探して、この本を借りてきました。(でもこれじゃなかったのかも。確かにクリシュナは登場するけど、宗教上は”ヴィヤーサの叙事詩のうち第6パルヴァにあたるビーシュマという書に含まれる「バガヴァッド・ギーター」であり、その中でアルジュナがクリシュナにさまざまな教示を受ける”ということらしい。多分。(ほとんどまだチンプンカンプン)

私が借りてきたこの本にはさまざまな神や聖人や為政者が登場して、だいたいは相手を怒らせて恨みを買って、その次は相手による報復、その後は報復を受けた人の子孫による報復……という、血と因果応報の延々と続く物語らしい。旧約聖書みたいな…。

クリシュナは体の色が真っ黒で、微笑みを浮かべて誰でもすぐに魅了する大変な美男子だったとのこと。描かれるときに身体を青くしてるのは、本当は黒なんだって。インドでは、外のものを跳ね返すのが白、さまざまなものを受け入れるのが黒らしい。とりあえずはこの本でそこまでぼんやりわかってよかった。次は「バガヴァッド・ギーター」そのものを手配して読んでみよう。 

 

松下竜一「豆腐屋の四季」656冊目

いつか読書する日」という映画を最近見ました。田中裕子演じる独身の50歳の女性は、一人暮らしで牛乳配達とスーパーのレジ打ち、2つの仕事をかけもちして暮らしています。夜明け前に自転車で街を回って牛乳を配達していくその人の姿が、けなげで真っすぐでなんだか胸がいっぱいになってしまって、そのとき、昔読んだ「豆腐屋の四季」のことを思い出しました。子どもの頃は図書館が苦手で、借りた覚えがあるのは高校の図書館にあったこの本くらい。その頃はまだ自分の未来にたくさん夢を見ていたので、進学を家の都合で諦めて豆腐屋を継いだ著者のことを想像すると、悲痛で耐えられないほどの気持ちになったものでした。

今は、勉強や若いころの仕事は、その後の人生で取り戻せると実感してるけど、その頃は一生逃れられない運命のように思えて。学校ってすごく狭い世界で、社会に出る前って半径2メートルくらいまでしか想像力が働かなかったから…。

この本を読み直しながら、何度も涙が出ました。年をとってから読んでもやっぱり、著者の豆腐屋の家族を見ているのは辛い。若くして亡くなった「母」がすべてをつなぎとめていたなら、彼女が生きていた頃はどんなに活気のある明るい家だったんだろう?

貧困と不和のなかで「K市」にひととき家出をした彼が見る映画は「鉄道員」。イタリアの労働者を描いたニュー・シネマです。日本の片田舎の豆腐屋プロレタリア文学豆腐屋の四季」は発売されてすぐに注目されてドラマ化もされたけど、映画にならなかったので今はもう見ることは多分できない。

結婚したあとも「毎朝2時」に起きて豆腐を作るのだ。働けど、働けど…。昔はみんなそうやってひたすら働いてたんだよな。

高校生で読んだのは多分最初に発行された単行本で、「相聞」(著者が結婚前に恋人に長年書いて送った愛の歌をまとめて、結婚式の引き出物として配ったものを再録)は入ってなかったんじゃないかな。初々しく純真な恋愛感情に、読んでて頬が赤くなる思いがします。この人の感受性と文才はほんとうに、今読んでも群を抜いていたなと感じます。

このあと著者は豆腐屋を廃業して、死ぬまで文筆業を続けます。「砦に寄る」や「ルイズ 父に貰いし名は」は、文庫になったとき小遣いで買って熱読んだ記憶があって、もしかしたら私の”判官びいき”の傾向は、この人の影響もあったのかもしれません。

去年会社を辞めて早い”半隠居”に入ってから、お金がなかった頃を思い出すことが多くなったけど、節約しようと思うていどで、身を粉にして休まず働き続けるなんてことはもうないと思ってました。何十年も働いたんだから、もう休もう、って。…でも、家族がいるわけでもない私は、家にいると誰の役にもたってない。この本を読みなおして、労働の尊さを思い出してしまったので、もう一度これからの仕事のことを考えてみようかなと思っています。

(1993年9月30日第7刷 講談社文庫 500円)

豆腐屋の四季 ある青春の記録 (講談社文庫)
 

 

ブレイディみかこ「ぼくはイエローで、ホワイトで、ちょっとブルー」655冊目

ブレイディみかこさんは、テレビや雑誌の記事で何度も見たけど、私と同年代なのだ。私もパンク好きでバンドやってたし1992年にロンドンに半年住んでいたことがあって、「ここの誰かと恋をして結婚して、ずっと住んだらどんな感じだろう」と何度も何度も想像したので、彼女の書くものは私の「実現しなかったほうのif」のように見えてじっくり噛みしめてしまうのです。

著者は息子に向かって自分のことを「母ちゃん」という。それがどうしても、西原理恵子のキャラクターに重なってきて、どうしてもブライトンの母が割烹着を着てる図を思い浮かべてしまう。彼女のおかっぱ+帽子の姿を見慣れてるのに。

著者の口調があまりにも普通に日本語(変な翻訳口調にならず)なので、(息子さんの口調も自然な日本の少年の言葉に置き換えられてるし)完全にアウェイの異文化の中にいることを忘れそうになります。でも学校や普段の生活のいろんな部分が違う。その一方で、小さな違いを見つけ出してすぐにいじめを始める人間の心は、まったく同じだなと思う。違いをプラスに生かせるのは自分に余裕がある人で、日々の不満を貯めたままになっている人はすぐに攻撃を始める、徒党を組む。その中で見た目からルーツまで異なる者として暮らして子どもを育てていくには、肝っ玉母ちゃんになるしかないのか、それとも元々そういう素質があるのか。

著者のフラットで冷静でありながら温かい視線、息子くんのまじめで正しい性格、それに読みやすく構成された文章の上手さ。素晴らしいエッセイストだなぁ。他の本も読んでみようと思います。 

(2019年11月25日13刷 1350円税別)

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 

 

森瑤子「アイランド」654冊目

与論島に行ったときのことを思い出して読んでみる。この本はガイドブックで紹介されてたし、森瑤子は与論に別荘をもち、地元の人とも親しくしていて、今はエーゲ海ふうのタイル貼りの素敵なお墓となって与論にいつづけています。

私は同時代としては、彼女の本を読むには若すぎて、名前だけをうっすら憶えているくらいだったんだけど、何年か前に渋谷のブックカフェに行ったとき、なぜか彼女の本が目立つところにあって一冊読んだのでした。それが「デザートはあなた」。とてつもなくリッチでバブルのきつい香りがする本だけど、女性らしいロマンチックさや可愛らしさで満ちていて、不思議と「いいな」と感じました。

彼女が愛した与論島は南西諸島の島々のうち、航空路があって行きやすく、港区と同じくらいの小さな島。サンゴ礁でできているので恐ろしく海が美しくて、真っ平で徒歩で歩きとおせそうな島です。背の高い月桃やアダンのふもとの温かい暗い空気に、なにかの死が眠っているようでちょっと怖い気がするのも、南国らしさ。

その森瑤子が近未来(といっても1988年から見た2003年)の八ヶ岳や与論を舞台に、イケメンのミュージカル作家と美人エージェントやその娘の運命の出会いを描いたのがこの作品。輪廻転生がメインのきわめてロマンチックな物語だけど、設定は近未来SFで、ものを送るのに真空式シュートみたいなものを使っていたり、急ぎの連絡がファックスだったりするのは昔っぽいけど、週休3日制に移行して誰もが副業を持ち、リゾート地に第二の拠点を持っていたり、テレビ電話やリニアモーターカーを駆使してたりするあたりは、現在に近いところもあって、面白い。

なんか、言葉の端々に、「ときめき」とか「キラキラ」があって、書いてる人自身が夢見る美しい心の持ち主なんだろうなというのが伝わってくるんですよ。人や物や世界の美しさを信じている人。斜に構えたところがない人。

輪廻転生を重ねてきた運命の二人が出会う場面を、ずっと楽しみにしながら読んでいって、結果は最後の最後のおたのしみ。ほんとにこの作家は、すごくきれいな夢の中に生き続けた人、愛を信じ続けた人なんだなと思います。

今の時代の東京は否定でいっぱいになっていて、安らぎも落ち着きもなかなか感じられないけど、島に行けばロマンや優しさに出会えるのかな…なんて夢をみちゃいますね。

(1988年7月30日発行 980円)

アイランド (角川文庫)

アイランド (角川文庫)

 

 

カズオ・イシグロ「忘れられた巨人」653冊目

新刊が出たので読みたいけど、その前の小説も読んでなかったので、まずこれから。

読み始めてみたら、なんだこの中世イギリスっぽい”世界観”。主人公は老夫婦だけど、鬼が出る村があったり勇者が何かを退治に行ったり、私はロールプレイングゲームを始めたんだっけ?

不思議な”道具立て”の中を、やたらと弱っている鬼や竜を攻撃したりしながら、物語は結末を目指します。「これは本質的にはラブストーリー」だと作者は語っているそうです。昔のことを思い出せなくなっている老夫婦、どちらかの短い不貞があったのかなかったのか、息子は本当にいたのか、今もいるのか、どこにいるのか。記憶を竜に奪われた人々は竜退治のあと何を取り戻すのか。

愛の物語かもしれないけど、他の全ての人々もその結果に影響を受けるわけで。戦いが終わったあとの戦士ウィスタンの疲労感や、船頭の心配りがやたらと印象に残ります。そしてこの作家の知性は、人間や運命や記憶や時間や歴史や民族、さまざまな要素も盛り込んでいます。何度も読むときっと毎回違う面が気になってくるんじゃないかな。

もっと読んでみたいと思わせる作家ですよね。

(2015年6月15日4版 1900円)

高田好胤「心 いかに生きたらいいか」652冊目

図書館の「リサイクル本 ご自由にお持ち帰りください」コーナーにあったのを持って帰って読みました。この本は実家にもあった。母がありがたく読んでた。やたらと般若心経を勉強しようとしてたのは(その後父もだけど)、この人の影響だったということがよくわかりました。高田好胤というお坊さんは、とにかく話が上手で日本中の人を惹きつけた立派な人だと認識してたけど、般若心経の写経をして薬師寺に納める(当時のお金で1,000円かかった)ことで薬師寺の金堂、西塔などを復興した、アイデア豊富なビジネスマンともいえる人だったんだな。

今の文庫本はだいぶ明るいデザインになってるけど、最初の単行本の表紙はものものしい黒の中に筆文字の「心」と、何かわからない藪みたいな写真。ものすごく難しくて重厚な、ありがたいご本だと思ってしまうけど、中は今ではこのままでは出せないような、お坊さんとは時に思えないような、本音の数々でした。

日光東照宮を「あの飾りたてた陽明門などへどが出るような思い」「徳川の成り上がり趣味とそれにおもねる精神のいやらしさ!」って今なら炎上確実。それ自体が、揺れ動く一般人に強い言葉で共感をあおる炎上商法と言われてもおかしくありません。

男が外で働いて、たまに夜遅くまで飲んで帰ってもその事情を察してやれ、遅く帰って風呂に入っても待っていて浴衣を着せてやれ、子どもは牛乳ではなく必ず母乳で育てるのが良い母だ。とか。

薬師寺の仏像をロシアのエルミタージュ美術館で展示することになったので、自分もそちらに飛んで法要をやって見せたところ「ソビエトは宗教のない国だと思っていた」という。ロシア正教でもお経と似た歌をうたう、など言われてロシア正教の大きさを知ることになります。

広い国営農園では人があまり働かず、自由に耕作することを認められた自分の農場で一生懸命働いて市場で売っている、という話を聞いて「日本の『三世一身の法』と同じだ」というエピソードもありますが、この歴史感覚が面白いです。今なら国内にソビエト的農場が過去に存在したと連想する人はほとんどいないだろうから…。大正生まれには侍の時代が感覚的にそれほど遠くない。(三世一身の法=大化の改新で私有地が認められなくなったら農民は働かなくなり、新しい農地を開墾して三代にわたって耕せば私有地を認めるというやつね)

読み終えて思うのは、こういう随想的な文章における倫理観って時代によって驚くほど変わってきたんだな、ということ。これに限らず、昭和の頃のエッセイって”無意識のうちの差別的表現”が多い。今でも心のままに(つまり炎上や攻撃を恐れず)スルドいことを書き続ける人はいますが、覚悟がないとそういう仕事はできません。

今の方が昔より、自分と違う性質を持つひとたちの存在を認識するようになったのは事実。でもそれは、わきまえて誰もがお互いを気遣うようになった…っていうわけではなくて、人目を恐れるようになったという面があります。今は物書きの人の多くがディズニーの映画やNHKの幼児番組みたいに、キレイでつるつるの文章を書くるけど、この本の作者の方が、実際に自分が差別的発言をした相手といつでも向き合って、自分の誤解を認めて仲良くなってたんじゃないかと思います。

感動する気まんまんで読み始めたけど、まったく予想しなかったものを見つけて面白かったのでした。

 

三島由紀夫「美しい星」651冊目

珍しくSFめいた作品。星新一の本の題名にありそうな。

しかし登場人物は、何かの強迫観念的イデオロギーを抱いてしまった潔癖症の人々という意味では、三島由紀夫のあらゆる小説と共通しています。

自分の本質が金星や木星から来た宇宙人で、地球人の身体を借りて、地球人を救うために日々を過ごしていると聞くと、NHK「LIFE」の「宇宙人総理」を思い出してしまう。あっちは青い顔をした明らかな宇宙人なんだけど。

読み終えて、やっぱり三島由紀夫は文豪だな、と思う。面白さ、時代性、文章力、構成力、社会性、知識の広さと深さ、作品の芯になる思想の強さ。

それにどの作品にも共通した個性がある。作家と同時代に生きていたら、単行本が出るたびに読んで感想を友達と話し合ったりしただろうなぁ。

美しい星 (新潮文庫)

美しい星 (新潮文庫)