デービッド・アトキンソン「新・日本構造改革論 デービッド・アトキンソン自伝」792冊目

インバウンドの観光関係の仕事をしようかと考えていたときに、この人の本を何冊も読んだんだけど、コロナでやる気がなくなって以来読んでない。でも今度は「自伝」とあるので読んでみることにしました。彼の生い立ちや日本語の習得、ソロモンブラザーズとゴールドマンサックスでの仕事のことが、この本でよくわかりました。

この人の見立てが今までどれほど当たったかはその後の経済界が証明したんだろう。今後のことはわからないけど、それにしても、事実と関係のないところで人の人格を否定したり、理屈に合わないことを感情的に言い立てる”偉い人”の多さは著者が指摘するとおりで、日本って良識的な人たちが争いを避けるためにウルさい人たちを上に立たせてる国なのかな、と思ったりする。

著者が高く評価していた菅総理は退任して岸田内閣が発足した。この先どうなっていくのかな。本当に、日本の経済はこのままじゃダメだ。とにかく安く人を使う、という考えが行きつくところが、外国人労働者の酷使で、それは外交的にひどい影響にしかならない。課題は大きすぎて深すぎるかもしれないけど、私も手の届くところの改善をがんばるので、みんながんばろう…。

 

嶋中労・旦部幸博「ホーム・コーヒー・ロースティング」791冊目

素晴らしい本でした。

私も去年からキロ単位で生豆を仕入れて、家でコーヒーを焙煎して飲んでます。それ以来、焙煎した豆を買うことはありません。何より生豆は圧倒的に安い。今は時間の余裕がかなりあるので、割と本気の趣味としてコーヒー焙煎はとても楽しく、難しく、だからこそ面白いのです。

私は網で焙煎してるけど、ネットやさまざまな本を見ると、フライパンの方がいい、蓋があった方がいい、洗ってから焙煎した方がいい、いや水洗いなどもってのほか、などなどあらゆる種類の主義主張が渦巻いていて、実際どうすればいいのか今も目標さえ定まりません。

安い生豆は、私のような初心者から見ても、形が崩れていたり虫食いがあったりカビが生えていたり、使えない豆をより分けるだけでもけっこう大変。でも、いくらやっても飽きません。美味しくできても、とても飲めない!とせっかく焙煎した豆を棄てるしかなくても、やっぱり面白い。

私にはワインその他お酒のことはよくわからないけど、コーヒーならこの先、”ちょっとはわかる人”になっていけるかな~。コーヒー修行はまだ始まったばかり。

この本は手元に置いて、迷ったときはさまざまな主義主張の先達たちの話を聞いてみたいと思います。

 

阿部浩一「きまじめでやさしい弱者のための「独立・起業」読本」790冊目

ビジネス書なんだけど、生きづらい人にとっての人生指針の本でもあります。「オンライン授業の教科書」とこの本、どっちが響くか。私はこっちの方がしっくりきました。

「人生はお花畑ではなく荒地である」という前提とか。この辺私の考えと同じだな。”幸せ”にならなきゃいけないと思うから、苦しくなる。友達が一人もいなくても(いるけど)、ぜいたくせず、ときどき美味しいご飯を食べたり、天気のいい日に散歩したり、好きな仕事や勉強をちょこちょこしたり、猫とのんびり暮らせることで満足する。荒地は開拓されたり、自分なりに穴を掘って住んだりされることを待っている。

私と違うのは、この著者が「自分大好き」と言い切れるところかな。私は自信がなくていつもオドオドしている。顔も体形も好きじゃない。でも、判断に迷うときは人の話を聞かないで自分を信じるのは、自分を肯定できてるからなのかもしれない、とこの本を読んで思った。

宅建とって不動産業をやる、という考えにも共感するな。私も取ろうと思ったことがある。不動産の世界には、物件がうまく回って業界が発展するのと逆に働く悪習が残ってるなと思うし、資格が絶対に必要で、ちゃんとしっかり勉強して働けば、元手が少なくてもやっていける商売だ。

生きづらさを抱える人には、感受性が鋭敏な人が多いと思う。その鋭敏さは、たとえば市場の変化に敏感だったり、人の気持ちがよくわかったりするっていう形で現れることもある。特定の分野で、その人以外よりも突出して優れた成績をあげることで足を引っ張られることもあるだろう。

この著者も本のどこかで「誰にも邪魔されないでひっそりと暮らせたら一番だけど、その方法がわからない」みたいなことを書いてたけど、そういう生きづらさを抱えた人はそう思うことが多いんじゃないかな。私はしばらく会社生活をがんばって、今はなんとか細々と”誰にも邪魔されないでひっそりと”暮らせてる。荒地を耕しに行くことはもうないかも。

…とか自分を振り返って考えてしまう本なのでした。この本を必要としている人に、なるべくたくさん届くといいなと思います。

私もやっぱり宅建受けようかなぁ…。

 

渋谷文武「オンライン講座の教科書」789冊目

思ったのと違った…ZOOMやるときにはどういう設定がいいとか、講義の構成とか、そういう実務の話かと思ったらオンライン、ビジネスの集客の仕方のほうだった。どうも見覚えがある。ネットや書籍のあちこちでそっくりなコンテンツをここ3年くらいの間にかなりの数、見てきた。面白いくらい似てる。じっくり読みこんでみたこともある。なんとなくテレビのバラエティ番組の「驚異の結末はCMの後で!」みたいな”あおり”と同じ感じ。心のすき間を突いてくるんだよね、埋められそうに思うんだよね、こういうの。でも、何かを本当に習得しようとするとき、私の場合はそういう”あおられ”エネルギーが続かないので、もっとじっくりと着々と地味にやらないとダメなんだよな。だから人をあおるビジネスも、私には乗り切れない。

どうすれば英語が本当に身につくのか?というのを考えてた時期があったんだけど、語学はこのやり方では(私には)難しい。簿記は「あおり型」ではないYouTubeKindle本でかなり学べたと思うけど、その違いは、必要に迫られてるかどうか?ということと、やっぱり、コンテンツの質だな。私が見つけたYouTubeは講師が優れてた(自分にとってわかりやすい、という意味で)ということだ。

この著者のYouTubeも見てみた。全体的にクールでスタイリッシュ…船ケ山氏の弟子かな、もしかして?

とりあえず、もともと探してた、ZOOM授業の運営方法の本をもう少し探してみます~~

 

上間陽子「海をあげる」788冊目

うん、私が読みたかったのはこういう本だ。「500ヘルツのクジラたち」じゃなくて。ただ、読みながら自分がこの本を沖縄に対する加害者としての本土の人間として読むべきなのか、誰にも話したことのない数々の傷を負った同じ被害者の女性として読むべきなのか、混乱する。大概の人がどちらの立場にも多かれ少なかれ関わってるんじゃないだろうか。そこをあえて加害者として読めるかどうかが、一つの分岐点じゃないかと思う。私は自分に関して、加害者たちを赦す判断をしたために、あらゆる抗議活動に共感を覚えなくなってしまった。もう怒れないのだ。もしかしたら、上間さんが話を聞き続けてる、なかなか自分のことを話せない女の子たちの精神のまま年だけ取っちゃったのかな。

でも、辺野古の海に行って泣きながら海を見ていることならできるかも。そんなことをしても誰の何の役にも立たないけど。私にはそのくらいのことしかできないのだ。

 

アンソニー・ホロヴィッツ「カササギ殺人事件 上・下」786~787冊目

満足。お腹いっぱい。アガサ・クリスティを読み始めた頃みたいな気分。

本格ミステリ」ってどういうものなのかよくわからないけど、トリックだけが完璧で動機に全然共感できない作品ほど、「本格ミステリ」って言葉にこだわってる気がする。クリスティの作品は、トリックも常に新しいけど、再現性が高いというより偶然が引き金になるケースも多い一方、動機に関しては何十年もの積年の思いが熟成されて底恐ろしいと感じるものが多い。

この作品はそのどっちとも違っていて、動機はあるけどクリスティのような積年のうらみつらみという感じとは違うし、トリックに凝った作品でもない。何が革新的かというと、小説そのものの建付けが斬新。実に楽しませてくれました。

上下巻と言ってしまうと、単なる続き物という感じだけど、これは1冊にまとめないで絶対2分冊で売り続けてほしいし、上巻を読み終えたところで一息つく必要がある。この構成がすばらしい。

正直、犯人や動機、トリックに納得感がすごくあるわけじゃないので、そこを期待した人は「あれっ」と思うかもしれない。でもこの「小説の建付けの再構築」というアイデア、工夫、努力には個人的に尊敬しかないです。だからあちこちで推薦されてるんだな~。

引き続き、他の作品も読んでみます!

 

恩田陸「薔薇のなかの蛇」785冊目

長年少しずつ書き溜めてきたものが、まとまって本になった形のようです。この作家の作品は数冊しか読んでないけど、初期のちょっとまがまがしくて美しい、名作少女マンガみたいな世界、という感じがします。

けっこう厚みがあるけど、スルスルと楽しく一気に読めました。トリックに至る長い歴史はあるけど、”本格ミステリ”のように謎解きにページを割かない。多分リアルとは遠いんだろうけど、ミステリアスな武器商人の歴史、関係各国とのかかわりなど想像しながら楽しみました。