武田砂鉄「偉い人ほどすぐ逃げる」795冊目

武田砂鉄は、テレビで話しているのを見て、そのきっぱりとした弁舌の一貫性が印象的で著書を読んでみたいと思いました。

この本でも立場は一貫しているし、主張にはぜんぶ納得できる。でも読んでてだんだん暗澹たる気持ちになってくるのは…この人のせいじゃなくて、あいまいでおかしいことばかりがはびこっていく、広がっていく事態が情けなく腹立たしく、だけど自分には何もできないという無力感が強くなるから。

自分は長いものに巻かれずに正しいことをやってきたと思ってるけど。違うと思うことは後悔しないように必ず指摘する。でも指摘したあと、多数決あるいは上司の判断で却下されたら指示に従ってきた。それが自分できる最大の主張だと思ってやってきたけど、もっと強く、もっと丁寧に、自分の思うことを貫いてみてもよかったのかもしれない。※結局、つとめあげないで会社員は辞めちゃったわけだし。※辞めちゃってもなんとか食べていけてるし。

「自分さえがまんすれば」で誰かほかの人が得をする。自分が辞めてしまえば残った誰かにひずみがいくだけ。声をあげることは少なくともけん制にはなる。仕事ばっかりやってたときには見えなかったものが、今なら見えるんだよなぁ…。もう組織の一員には戻れないな…。

 

佐藤究「QJKJQ」794冊目

「テスカトリポカ」がとても面白く、血を見る場面が多いのにも関わらず私でも楽しめたので、別の作品も読んでみた。両方ともミステリー小説と呼べる謎があり、ホラーのようでもあり。とにかく迫力があって、かつ丁寧な文章で、どんどん読んでしまいます。力のある作家だなぁ。

この小説はタイトルを見てもどういう内容か想像がつかない。読み進めていっても、SFなのかホラーなのかミステリーなのか最後までわからない。かなり極端な世界に寄っていきそうなのに、常識の範囲で納めるのも、スリルと安心感の両方が感じられる。

ぶっちゃけ、内容は荒唐無稽でいいのか悪いのか説明しづらいんだけど、すごく面白く読めてしまいます。理屈で良さを説明するのが難しい作家だなぁと思います。でも多分、どの作品を読んでも面白いはず。

 

萩尾望都「一度きりの大泉の話」793冊目

2021年のお正月に放送された「100分de萩尾望都」を見て以来、彼女の作品を片っ端から読んで(あるいは読み直して)、その流れで気になっていたこの本を、今日やっと読みました。

萩尾望都の作品世界は、とても深い。情緒がきわめて繊細だと思う。一方で本人が外部世界(簡単にいうと「ほかの人たち」)との関わりを語るとき、シャイな子どもみたいに怖がりな印象がある。私にもそういう部分があって、親にいつも怒られていたので自分は基本ダメだと認識していて、他人のいいところばかり見える。逆に親にたっぷり愛されて自己肯定できている人の中には、何かいやなことがあると他の人が原因だと思いがちな人がいる。そのギャップが、自己認識が高い人が低い人を貶める形で表出したとしても、人を傷つけることは本人にとっても痛い。貶められた人は、やがて自分を取り戻せればそれが自信になるけど、貶めた側はその後自己嫌悪に陥ったり、さらに屈折して別の誰かを攻撃することもある。

「何か言われて不快でも反論せずに黙ってしまう、それは不快という感情と共に強い怒りが伴うので、自分で自分の感情のコントロールができなくなってしまう(p265)」…わかる…私は若いころはすぐ泣きそうになって、涙を抑えるのに精いっぱいだった。黙ってるのは何も感じないからではない。うまく自分の感情をコントロールできない人ってたくさんいるのかもな。

そんな萩尾望都竹宮恵子を対談させようとする人たちがいる。因縁の野球選手たちを”仲直り”させる企画、みたいな、私が「インスタントカタルシス」と呼ぶものを読者に与えようとする。素晴らしい二人の漫画家がその後、長い年月を経て和解したと思いたいんだろうな。アニエス・ヴァルダ監督が晩年にドキュメンタリーの中でゴダールを訪ねたけど会ってもらえなかった、という場面を見たとき、ちょっと悲しくなった記憶がある。私もそのとき、通りすがりの無責任な、感動したがってる観客だった。

でも観客や読者のことはそんなに気にしなくていいのだ。どうせ通り過ぎるだけだから…一生忘れない作品、作家がいても、作り手の幸せのために何かできるわけじゃないのだ。

竹宮恵子のほうの自伝も読んでみよう、と思う自分がなんとなく、あさましく思えるけど、ここまできたら見届けてみたい。

 

デービッド・アトキンソン「新・日本構造改革論 デービッド・アトキンソン自伝」792冊目

インバウンドの観光関係の仕事をしようかと考えていたときに、この人の本を何冊も読んだんだけど、コロナでやる気がなくなって以来読んでない。でも今度は「自伝」とあるので読んでみることにしました。彼の生い立ちや日本語の習得、ソロモンブラザーズとゴールドマンサックスでの仕事のことが、この本でよくわかりました。

この人の見立てが今までどれほど当たったかはその後の経済界が証明したんだろう。今後のことはわからないけど、それにしても、事実と関係のないところで人の人格を否定したり、理屈に合わないことを感情的に言い立てる”偉い人”の多さは著者が指摘するとおりで、日本って良識的な人たちが争いを避けるためにウルさい人たちを上に立たせてる国なのかな、と思ったりする。

著者が高く評価していた菅総理は退任して岸田内閣が発足した。この先どうなっていくのかな。本当に、日本の経済はこのままじゃダメだ。とにかく安く人を使う、という考えが行きつくところが、外国人労働者の酷使で、それは外交的にひどい影響にしかならない。課題は大きすぎて深すぎるかもしれないけど、私も手の届くところの改善をがんばるので、みんながんばろう…。

 

嶋中労・旦部幸博「ホーム・コーヒー・ロースティング」791冊目

素晴らしい本でした。

私も去年からキロ単位で生豆を仕入れて、家でコーヒーを焙煎して飲んでます。それ以来、焙煎した豆を買うことはありません。何より生豆は圧倒的に安い。今は時間の余裕がかなりあるので、割と本気の趣味としてコーヒー焙煎はとても楽しく、難しく、だからこそ面白いのです。

私は網で焙煎してるけど、ネットやさまざまな本を見ると、フライパンの方がいい、蓋があった方がいい、洗ってから焙煎した方がいい、いや水洗いなどもってのほか、などなどあらゆる種類の主義主張が渦巻いていて、実際どうすればいいのか今も目標さえ定まりません。

安い生豆は、私のような初心者から見ても、形が崩れていたり虫食いがあったりカビが生えていたり、使えない豆をより分けるだけでもけっこう大変。でも、いくらやっても飽きません。美味しくできても、とても飲めない!とせっかく焙煎した豆を棄てるしかなくても、やっぱり面白い。

私にはワインその他お酒のことはよくわからないけど、コーヒーならこの先、”ちょっとはわかる人”になっていけるかな~。コーヒー修行はまだ始まったばかり。

この本は手元に置いて、迷ったときはさまざまな主義主張の先達たちの話を聞いてみたいと思います。

 

阿部浩一「きまじめでやさしい弱者のための「独立・起業」読本」790冊目

ビジネス書なんだけど、生きづらい人にとっての人生指針の本でもあります。「オンライン授業の教科書」とこの本、どっちが響くか。私はこっちの方がしっくりきました。

「人生はお花畑ではなく荒地である」という前提とか。この辺私の考えと同じだな。”幸せ”にならなきゃいけないと思うから、苦しくなる。友達が一人もいなくても(いるけど)、ぜいたくせず、ときどき美味しいご飯を食べたり、天気のいい日に散歩したり、好きな仕事や勉強をちょこちょこしたり、猫とのんびり暮らせることで満足する。荒地は開拓されたり、自分なりに穴を掘って住んだりされることを待っている。

私と違うのは、この著者が「自分大好き」と言い切れるところかな。私は自信がなくていつもオドオドしている。顔も体形も好きじゃない。でも、判断に迷うときは人の話を聞かないで自分を信じるのは、自分を肯定できてるからなのかもしれない、とこの本を読んで思った。

宅建とって不動産業をやる、という考えにも共感するな。私も取ろうと思ったことがある。不動産の世界には、物件がうまく回って業界が発展するのと逆に働く悪習が残ってるなと思うし、資格が絶対に必要で、ちゃんとしっかり勉強して働けば、元手が少なくてもやっていける商売だ。

生きづらさを抱える人には、感受性が鋭敏な人が多いと思う。その鋭敏さは、たとえば市場の変化に敏感だったり、人の気持ちがよくわかったりするっていう形で現れることもある。特定の分野で、その人以外よりも突出して優れた成績をあげることで足を引っ張られることもあるだろう。

この著者も本のどこかで「誰にも邪魔されないでひっそりと暮らせたら一番だけど、その方法がわからない」みたいなことを書いてたけど、そういう生きづらさを抱えた人はそう思うことが多いんじゃないかな。私はしばらく会社生活をがんばって、今はなんとか細々と”誰にも邪魔されないでひっそりと”暮らせてる。荒地を耕しに行くことはもうないかも。

…とか自分を振り返って考えてしまう本なのでした。この本を必要としている人に、なるべくたくさん届くといいなと思います。

私もやっぱり宅建受けようかなぁ…。

 

渋谷文武「オンライン講座の教科書」789冊目

思ったのと違った…ZOOMやるときにはどういう設定がいいとか、講義の構成とか、そういう実務の話かと思ったらオンライン、ビジネスの集客の仕方のほうだった。どうも見覚えがある。ネットや書籍のあちこちでそっくりなコンテンツをここ3年くらいの間にかなりの数、見てきた。面白いくらい似てる。じっくり読みこんでみたこともある。なんとなくテレビのバラエティ番組の「驚異の結末はCMの後で!」みたいな”あおり”と同じ感じ。心のすき間を突いてくるんだよね、埋められそうに思うんだよね、こういうの。でも、何かを本当に習得しようとするとき、私の場合はそういう”あおられ”エネルギーが続かないので、もっとじっくりと着々と地味にやらないとダメなんだよな。だから人をあおるビジネスも、私には乗り切れない。

どうすれば英語が本当に身につくのか?というのを考えてた時期があったんだけど、語学はこのやり方では(私には)難しい。簿記は「あおり型」ではないYouTubeKindle本でかなり学べたと思うけど、その違いは、必要に迫られてるかどうか?ということと、やっぱり、コンテンツの質だな。私が見つけたYouTubeは講師が優れてた(自分にとってわかりやすい、という意味で)ということだ。

この著者のYouTubeも見てみた。全体的にクールでスタイリッシュ…船ケ山氏の弟子かな、もしかして?

とりあえず、もともと探してた、ZOOM授業の運営方法の本をもう少し探してみます~~