萩尾望都「一度きりの大泉の話」793冊目

2021年のお正月に放送された「100分de萩尾望都」を見て以来、彼女の作品を片っ端から読んで(あるいは読み直して)、その流れで気になっていたこの本を、今日やっと読みました。

萩尾望都の作品世界は、とても深い。情緒がきわめて繊細だと思う。一方で本人が外部世界(簡単にいうと「ほかの人たち」)との関わりを語るとき、シャイな子どもみたいに怖がりな印象がある。私にもそういう部分があって、親にいつも怒られていたので自分は基本ダメだと認識していて、他人のいいところばかり見える。逆に親にたっぷり愛されて自己肯定できている人の中には、何かいやなことがあると他の人が原因だと思いがちな人がいる。そのギャップが、自己認識が高い人が低い人を貶める形で表出したとしても、人を傷つけることは本人にとっても痛い。貶められた人は、やがて自分を取り戻せればそれが自信になるけど、貶めた側はその後自己嫌悪に陥ったり、さらに屈折して別の誰かを攻撃することもある。

「何か言われて不快でも反論せずに黙ってしまう、それは不快という感情と共に強い怒りが伴うので、自分で自分の感情のコントロールができなくなってしまう(p265)」…わかる…私は若いころはすぐ泣きそうになって、涙を抑えるのに精いっぱいだった。黙ってるのは何も感じないからではない。うまく自分の感情をコントロールできない人ってたくさんいるのかもな。

そんな萩尾望都竹宮恵子を対談させようとする人たちがいる。因縁の野球選手たちを”仲直り”させる企画、みたいな、私が「インスタントカタルシス」と呼ぶものを読者に与えようとする。素晴らしい二人の漫画家がその後、長い年月を経て和解したと思いたいんだろうな。アニエス・ヴァルダ監督が晩年にドキュメンタリーの中でゴダールを訪ねたけど会ってもらえなかった、という場面を見たとき、ちょっと悲しくなった記憶がある。私もそのとき、通りすがりの無責任な、感動したがってる観客だった。

でも観客や読者のことはそんなに気にしなくていいのだ。どうせ通り過ぎるだけだから…一生忘れない作品、作家がいても、作り手の幸せのために何かできるわけじゃないのだ。

竹宮恵子のほうの自伝も読んでみよう、と思う自分がなんとなく、あさましく思えるけど、ここまできたら見届けてみたい。