ノーベル賞受賞ときいて読んでみました。比較的最近読んだノーベル賞受賞作家の作品といえば、アニー・エルノーもアレクシェービチも日記みたいに現実的で、大江健三郎やカズオ・イシグロは寓話的な日常の奥にあるなにかを探し当てさせようとするような作品だったけど、この作品は、人間の中にある、そのどちらとも違う層を描いてると感じた。
層?という言葉が適切かどうかわからない。登場人物たちはあからさまに傷ついているけど、依然として世間体を保つことにも執着している。はげしい苦痛の原因がわからないまま、道を間違い続けていて、人間の普遍的な真理どころか、どこに逃げたらいいかもわからないままだ。だからカズオ・イシグロより浅いとか軽いということはなくて、年老いた先進国で諦めたような状態にあるイギリスの人たちと違う、韓国の人たちのリアルな痛みが、こういう作品になって現れるんだろうと思う。
痛みがいやされるような作品を書く人には、ノーベル文学賞は与えられないんだろうか?(インスタント・カタルシス的なファンタジーを特に評価してほしいわけじゃないんだけど)この賞はずっと、人間の深淵をもっともっと深く知ろうとしつづけてるんだろうか。どこかに、妹と義兄のなんらかの形での(植物的な?)静かな結末はありえたんだろうか、ありえなかったんだろうか。
いろんな韓国映画で見る容赦ないバイオレンスや、救いようのない絶望、とかを思い出しました。