藤本義一・選、日本ペンクラブ・編「心中小説名作選」844冊目

<すみません、全部ネタバレ書いてしまったので、これから本を読むつもりの方は以下読まないでください>

心中ものって歌舞伎とかでも嫌いな方なんだけど、理由があって読んでみました。

理由というのは私が愛読している作家、佐藤正午が今、突発性難聴に悩まされていて、とあるエッセイのなかで川端康成の「心中」という短編に出てくる神経質な「夫」の反応がその症状を思わせると書いていたことです。短篇集「掌の小説」を入手するのが普通だと思うけど、調べたらこの本にも収録されているので、あえての苦手分野づくしをやってみよう、という趣向です。

感想をいうと、すごく面白かった。人間の業ってほんとに面白い。心中小説集なので、みんな死んじゃうわけですが(タイトル落ちだよな)、読み終わってみると彼らが「生きた」ことがむしろ印象に残ります。心中って、老衰せずに生の盛りの時点で句点を打つということかもしれません。

こういうのを読むのが辛かったのは自分が若くて情死がひとごとと思えなかったからだろうか、今は興味深く読めるのは、半隠居で世俗から遠くなってしまったからだろうか・・・。

作品は以下のとおり:

川端康成「心中」

文庫本わずか見開き2ページに収まる、詩のような啓示のような作品。これに出てくる神経質な夫が、子どもの毬つきや靴で歩く音、茶碗でご飯を食べる音、そして一切の音が気に障ると言うわけです。で、読み解くことは不可能。どう読んでも心中とは読み取れない。でも才気走った、スリリングな才能を感じさせる小品です。

田宮虎彦「銀心中」

これはまた切なくなる作品。若い嫁が、戦死した夫の姉の息子(自分と2つしか違わない)を引き取って理髪店を続けているうちに、彼といい仲になる。しかしそこに死んだと思った夫が戻ってくる。何度も別れようとするけれど、忘れられない甥を温泉宿で待って待って、待ちわびて死を決意する。待つ間ずっと彼女を気にかけて親切にしていた宿の下男も、同情が高じて彼女の後を追う。「かわいそうで」という下男の思いが胸に来ます。

大岡昇平来宮心中」

養子に入った家で気遣いと仕事に追われる男が、飲みに行った先の女給とついできてしまう。二人とも、出奔して貧しくても二人で働いて生きていければ・・・くらいの気持ちで家を出るが、実家や嫁ぎ先から矢のような攻撃が降ってきて、ふっとその先の人生を諦めるのだった。・・・さまざまな面倒が、死ねば全部パーになる、という幻想は、ちょっとわかる気もする。

司馬遼太郎「村の心中」

隣村に奉公に出た少女のような娘が、元の村から自分を恋しいと夜な夜な忍んでくる恋人との仲を割かれて、あっさり心中を選ぶ。ただ、娘を死なせた若者は途中から怖気づいて家に戻ってしまい、出家するから許してくれといい、結局のらりくらりと逃げてしまう。思いつめて死んでしまう娘も、逃げてしまう男も、どこか共感できてしまう。(この本の中でこの男だけが生き延びます)

笹沢佐保「六本木心中」

アン・ルイスですね・・・。まだ子どものようなクールな美少女と、ちょっとメンタルな大学生がバブルな六本木で出会う。彼女の辛い状況に同情して母親の死に手を貸してしまい、留置所に入った男。そのからくりがばれたとき、差し入れのミカンには毒が入っていた・・・。

梶山季之那覇心中」

これも強烈。15歳の少年と、好色な中年女。じつは老婆。”ただれた関係”を清算するには死ぬしかない、という、少年の決意。返還直後の沖縄の物語です。

 

死をもっていろんなことを精算するのは、離婚より退社よりもっと究極的な断捨離の方法のようで、それを「心中」と呼ぶことでなんとなく美しく感じられて、しかも愛あふれる行いのようにまで思えてくるのって、ほんとに甘美な罠ですね。この年齢にして初めてこの甘美な部分に気づけたんだろうか。(大丈夫か私は)いやぁ人間ってほんとに、ダメで面白いものですね・・・。

 

立川談四楼「ファイティング寿限無」843冊目

これも「一万円選書」の一冊。すごく面白かった。さすが落語家。テンポの緩急が絶妙で、スリルと落としどころの感覚も鋭いし、言葉の選び方にセンスが感じられる。「自分はこれを表現したい」というより、読む人のために純粋にエンターテイメントとして書いてる感じ。

ごくふつうの主人公、と思ったら、異例の昇格、まさかの勝利。でもすでに読者は自分のこととして入り込んでるから共感は終わらない。落語もボクシングも順調だ。彼が師匠や先輩たちを心から愛し、尊敬していることも、共感をよぶ。で結局、彼はどちらを選ぶのか?

そこは最初からわかってる気もするけどね。

つまり、これ自体が「新作落語」なんじゃないかな?落語家って総合プロデューサーでありパフォーマーであり監督であり音響効果さんであり・・・ ひとりで全部作り上げる商売で、そのノウハウは師匠から弟子へと受け継がれていく。落語だけじゃないのかもしれないけど、芸術って純粋だなぁ。

サクセスストーリーでもあり、立身出世物語でもある。確かにこれは少年マンガの題材としてもぴったりでした。

 

アン・サリバン「ヘレン・ケラーはどう教育されたか ‐ サリバン先生の記録 ‐」842冊目

1973年に出版された本。図書館の「保存書庫」から引っ張り出してきていただきました。

先日、たまたま1962年の映画「奇跡の人」を見てけっこう感動したんだけど、最初の言葉「water」で物と単語の結びつきを学んだ後、どうやってヘレン・ケラーは抽象的な思考を身につけられたのか、どうやってセブン・シスターズの女子大を卒業するまでに至ったのかが知りたくて、参考になりそうな本を探してみた次第。

この本、ものっすごく勉強になった。何といっても、ほぼ全編がサリバン先生自身の手記や手紙なので、その臨場感。

私は妹弟も子どももいないし、部下を持つことも教育にたずさわることもなく、人に何かを教えられる人たちは天才かも、と思って長年遠くから見ていたので、不可能を可能にするようなサリバンの真摯な努力の継続の前にはひれ伏すしかないです。と同時に、最近始めた日本語教育ボランティアやそのための勉強のなかで、単語をただ暗記させるより効果的な教え方について考え込むことが多くて、この古い本(書かれたのは1890年代)に書かれた教授法の斬新さやサリバンの粘り強さにも、もう一度ひれ伏してしまいます。

方法論は大事。それが基礎。でも、その上で、生涯をかけてひとつの仕事に取り組むっていう覚悟や努力があったからできたことなんだな。私は何か、誰かのためにここまでやってきたことなんてあっただろうか?今はフルタイムの仕事を辞めて、会議や社内文書や職場の人間関係から解放されて、嫌なことしなくていいのって何て楽でいいんだろう、と自由を謳歌してたけど、誰かにとって必要な仕事をやってるという充実感がないのは、会社員のときと同じだな。まだもうしばらく人生が続くんなら、次の目標はちゃんと誰かの役に立つこと、かな・・・。(だいぶガタがきた身体のメンテも同時に進めよう)

 

筒井康隆「パプリカ」841冊目

今敏監督のアニメ映画「パプリカ」がすごく好きで、今さら原作を読んでいます。きっかけは、これと同時期に筒井康隆(および多数の読者たち)が執筆中だった「朝のガスパール」を読んだこと。

夢の中にダイブできる世界の作品は、映画やSF小説でもう見慣れてきてる。「インセプション」は2010年、「エターナル・サンシャイン」は2004年、パプリカは1993年だ。それより前のどこかに元ネタがあるんだろうけど、パプリカに影響を受けた人もいるだろうな。

さて、小説のほう、とても面白かったです。ただ、設定や場面の一部を取り入れてるけど夢の内容とか全然違うな。筒井康隆今敏も、枠を取っ払って自由にさせると歯止めが効かない、爆発的な想像力を持つ人々なので、この”リメイク”のような映画化は正解だと思う。自分以外の人が想像したものを、その人が満足するように作れたとしても、作った方は「いい仕事した」だけで、ほとばしるアドレナリンは出ないだろう。映画で描かれる夢の世界は今敏ワールドだ。祝祭的子ども部屋と平沢進の音楽の、めくるめく純真なオタクワールドだ。一方の小説の世界は、フリージャズとセクシーな女性とエロスが蔓延する筒井康隆の異次元だ。

二人とも、やっぱり良いのでした。読んでよかった。

 

筒井康隆「朝のガスパール」840冊目

読んでるとちょっと気分が悪くなる、筒井康隆作品のあの感じ。パソコン通信(私も少しやってた)の内輪っぽさとオタクっぽさ。これでも新聞小説という一般向けメディアなので若干は抑え気味な、それらの「あの感じ」が懐かしいような思い出したくないような・・・いややっぱり懐かしいです。加減が難しい・・・いや、これより抑えたところで激しく反感を持つ人も攻撃する人もいるだろうから、そういう「度合」の問題じゃないですね。小説にもマンガや映画にも、露悪的な作品を作り続ける作家たちの流れってあるように思うのですが、こういう作品が発禁になったりせずにメジャーな媒体に乗り続ける世の中であってほしいです。受け止める一般大衆の一人として、極端で過激なジョークを笑い飛ばせる者でありたい、とも思います。

表現が過激(抑え気味とはいえ)なので、時空をひょこひょこ超えることの新しさが目立たないけど、やっぱり筒井康隆は元気だなぁ。「パプリカ」は2017年に映画を見て好きになったけど、原作が筒井ということを見落としてました。すみません。原作を読んでからもう一度映画のほうを見直してみよう。

好きか嫌いかというと、好きな作家と認識してるわけじゃないんだけど、1970~80年代に私がよく読んでたSF作家のひとりとして、荒唐無稽でも露悪的でもいいので、エネルギーほとばしる活動を続けていてほしいなぁ。

 

福井県立図書館「100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集」839冊目

これは面白かった。ときどき声を出して大笑いしてしまった。こういう罪のない笑いって、ほんとなごみます。

この図書館の覚え違いリストは何度か見たことがあって、そのたびにクスクス笑ってましたが、この本はとても構成がよくて、間違ったほうのタイトルに合わせて描かれたイラストも可笑しいし、司書さんの対応も真面目でありながらウィットが利いてて、抑えてた笑いがもれてしまう。

正解がわかる本もけっこうあったけど(読んでなくても)、「なるほどやっぱり」から「どーしてそうなる!」まで色々。あー面白かった。

ところで、それぞれの本は表紙の写真じゃなく、それを手描きイラスト化したものが使われてます。登場する人物やキャラクターも手描き。こういう場合って元ネタの出版社とかに許諾をとるんだろうか、取らないんだろうか・・・単に好奇心ですが、気になる・・・。

 

スチュアート・マクブライド「獣たちの葬列」838冊目

原題は「A Song for the Dying」、死にゆくものへの歌。一方の邦題はバイオレンスアクションって感じがするけど、内容は原題とも邦題とも違って、クライムサスペンスだった。ただ、警官が悪いヤツや乱暴なヤツばかりで、スコットランドではそうなんだろうかと心配になってしまう(そんなわけないか)。

翻訳が、自然な日本語というより、少年マンガ雑誌のせりふみたいに読者をあおり気味でちょっと私には読みづらい。トリック?や「オチ」は、どんでん返しがあるけど結末にはあまり納得感がない。知的じゃない犯人という設定で、いろいろ抜かりがあるのに生存者の記憶がなさすぎるし、だいいち電話の声が・・・(これ以上のネタバレは避けよう)

映画化されたら私が見に行かないタイプの作品になるんだろうな・・・という感じの本なのでした。