R.P.ファインマン「ご冗談でしょう、ファインマンさん」(下)30

下巻を読み終わりました。下巻のほうが面白いぞ!!

なぜなら、子供時代に天才的なイタズラ坊主だった人ってのは大勢いるけど、偉い学者になった後であそこまでやる人は極めて少ないと思われるからです。

あそこ その① たまたま拾ったヒッチハイカーに「ブラジルいいぜぇ~」ってそそのかされて、ブラジルの大学の講師になるところまではよしとしよう。でも楽器を覚えてサンババンドに入ってパレードを練り歩く人はあまりいないと思う。

あそこ その② ラスベガスで詐欺師とうまくやりあったり、女の子を必ず落とす方法を伝授されたり、ヤクザの子分のフリをして取り入ったりする大学教授は、あまりいまい。

あそこ その③ 絵を描こうと思い立ったらちゃんと勉強を始め、やがて偽名で絵を売り始め、行きつけのトップレスバーにかけるための絵まで描いたり、そのバーが摘発されたときに証言台に立ったりまでは、ふつうしない。

そんなわけで、私はこの本をとても盛り上がって、電車の中で声をあげて笑ったりしながら読んだんだけど、最後の「カリフォルニア工科大学 1974年卒業式式辞」がいかん。最初から最後まで悪口だ。

彼の言いたかったことは「ただ一つ、今述べたような科学的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保ってゆくために、心ならずもこの良心を捨てざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような好運を、との一念に尽きます。」

よほど彼はそういう圧力と闘ってきたんだろうな。

私は神秘主義的な宗教が大嫌いだけど、超自然的な力を、科学をふりかざして否定するのも少し嫌いなんだ。存在が証明できてないから「ない」とはいえない。科学者のなかには、100%の再現性がない限りそれは偽りだと断言する人がいるけど、偽りであることを証明する方法を考えたほうがいいときもある。

リフレクソロジー=足裏マッサージを一笑するんだけど、彼は多分やってもらったことはないんじゃないかな。

あると証明できてないことは「ない」わけじゃない。「あるかもしれませんね、早く証明できるといいですね」って言ったほうが科学的なんじゃないのかなぁ。ユリゲラーを家に呼んでスプーンを曲げさせてみて、曲がらなかったからそいつはニセモノだと嬉しそうに弾劾してるけど、そこまでやってしまうと科学者のおごりなんじゃないかな。自分がすでに習得した方法で世界の事象のすべてが証明できるなんて、思い上がりだ。試験管の外では、人間が存在をまだ知らないいろんなものがinteractionしあってるってことを、忘れちゃだめです。

「お偉方が、本の表紙しかみないで中身の評点をつけてるけど、それが正確なわけがない」「物理の本を暗記だけさせるだけで、ものを動かして実験しないような教科書はクズだ」等々の彼の考えには100% agreeです。