カルロ・ロヴェッリ「時間は存在しない」772冊目

哲学の本のようなタイトルだけど、科学の本。太陽が地球を回っているのではなく、地球が太陽を回っている…というパラダイムシフトをはるかに超える(今の私たちにとっては、だけど)、時間は地表のほうが山頂よりゆっくり流れているという”事実”からこの本は語り始めます。まじで!?

そういえば地上にいついるんだというくらい、年がら年中飛行機に乗ってる人たちがやけに若々しいのは、速く動いてる人のほうが時間の流れが遅いとも書いてあるのと関係があるんだろうか。

さらにこの本は、「時間」は時計で規定する一つの統一されたものではなくて(それは単なる「目盛り」みたいなもの)、何かを中心とした時の流れがそれぞれ存在してネットワーク化したのが「時間」である、というふうに言います。

自分が見ていなかった間に大人になっていた親戚の子どもに驚いたり、昔好きだった歌手がいつの間にか老人になって亡くなった話に愕然としたりするのは、自分には自分の時間があって彼らには彼らの時間があるから。私の時間は他の人の時間とも、知らない街の時間とも、どこかの国の時間とも違う。…という感覚と同じように思えるけど、著者はこの考え方は現代人には受け入れがたいだろうと言うので、違うのかもしれない。

時間ありきではなくて、何かと何かが出会って反応が始まって進んでいくその過程が「時間」であって、何も起こらないかぎりそこには彼のいう時間はまだない、という感じかな。

なんとなく、生命が何もないところから発生したり、サルが道具を持って急激に知能を持つような変化って、突然爆発的に、加速的に起こるものだと思うので、平均的に流れ続ける時間よりその方がわかる。

「近代的な時間」ありきで生活してると、ご飯を食べてから寝るまでの隙間を埋めないとむなしいような気になるけど、何も起こらない時間のことなんてそもそも考えても仕方ないのだ、と卑近にとらえてみる。

そうだよな、「箱の中の猫は生きていると同時に死んでいる…箱を開けて確認するまでは」というシュレディンガーの考え方だと、開けるまではその箱の時間は他人にとっては止まってるって考えた方が自然(って話でもないのかもしれないんだろうな、多分)。

不思議と、読んで安心してしまった。小さいころからずっと、真空の箱の中に何があるんだろうとか、自分が見てないうちに誰かが死んでしまったらどうしようとか、宇宙の果てで救助を待ち続ける宇宙の生存者の心配とか、考えてもしょうもないことばかり心配してたので…。人はみんな自分の時間のことだけ考えてればいい、と言われたのだと勝手に理解したみたい、私。