佐藤究「テスカトリポカ」781冊目

面白かった。とても。

最終的な舞台は日本だけど、メキシコシティの下に埋められたアステカ遺跡とか古代神とかが出てくる(ほぼ)異国の物語だし、日本に渡ってきたその末裔の人々への共感ポイントは著者から読者へ何ひとつ示されてないのに、コシモや末永やバルミロ、もっというとサブキャラ的な存在の矢鈴にまで共感しながら読めるのが、すごいと思う。私は麻薬常用者でも強烈な肉体を持って生まれた異端児でもなく、裏社会にはこういうフィクション以外でかかわったこともないのに。こんなに暴力が激烈で、弱いものをいたぶる描写がこれほど出てくるのに、何も反感を感じないで、気づくとその時その場で語られてる人に入り込んで読み進めてる。ストーリーテリングの匠ってことなのかな。(評論でも何でもないただの読書メモなのに、偉そうな言葉とか使うなよ私)

共感についてもっと言うと、メキシコシティには1日だけ旅行で行ったことがあって、足元のガラスの下にある実物の遺跡を見下ろしてひぇ~って思ったという実体験があるけど、この小説の場合、そこを思い出して共感した部分はゼロだった。2m超えのコシモ青年は、姿を想像するのも難しいし、見かけたらとりあえず一歩下がるかもしれない。なのになぜ作品に共感できるのか。

この間「プロミシング・ヤング・ウーマン」という、女性が男性の性暴力への復讐に燃える映画を見て、自分以外の人たちの感想をたくさん読んだときのこと。読む前は「私は女性だからなんかスカッとしたけど、男性はきっと戦々恐々として読むんだろう」と予想したら、実際は男性たちも「スカッとした」とか「よくできてた」など、まるで自分を投影せずに純粋に共感して楽しんでたことに驚いてしまった。そんなことで驚いた自分の方がいい年をして世間知らずで、エンターテイメントというのはライオンが主役でも類人猿が主役でも、そこで中心となっている者に共感するように作られるのが普通なのでした。書きながら、何て当たり前のことを書いてるんだろうと思うくらい。

むしろ、社会派作品をいくら作っても、会社で部下をいじめてる上司たちや、女性にセクハラしまくってる人たちは、作品の中の最も哀れな者に共感してしまって自分のことだとは感じないだろうし、実際、そんな彼らにも被害者だった経験が多分あるのだろう…というのは、この本とはまったく関係ない話でした。

とにかく、この本はすごく面白かったので、同じ作家の他の作品も読んでみようと思います。