ジュール・ルナール「にんじん」830冊目

自分の人生は基本的に”黒歴史”だと思ってる。好かれようとして空回りして、自分のことが嫌いになることがあった。というか、だいたいいつもそうだ。そう自覚していてもなお、思い出したくないことがいくつかある。その一つがこれだ。小さいころ父がこの「にんじん」という本を買ってきて私にそっと渡したことがあった。当時、私が母や姉からいつもいじめられてたから、励ますつもりで買ってきたのかな?でもここまでひどい目にはあってないのに、大げさだな・・・と思ったのを覚えてる。

仕事を辞めて時間ができたので、最近は今までの人生を振り返ることが多い。それでこの本のことも思い出して読み直してみた。まさか私は「にんじん」みたいに、スープに自分の尿を混ぜて飲まされたことはない。でも、姉が私を泣かせて母と一緒に可笑しそうにくすくす笑っていた様子は、この本の中の人たちとよく似てるなと思う。ついでに言うと、父親がただ傍観していたのも似てる。これ以外に私に本なんて買ってきたことなかったのに、いったい父はあのときどういう気持ちだったんだろう。

私はジュール・ルナールほど強くなかったと思うけど、子どもの頃は希望を常に持ってたような気がする。大人になったら家を出て自由になって、明るく過ごして幸せになるんだ、と楽観してた。叶うだろうと思っていたことはほとんど実現しなかったけど、今でも、明日の朝は美味しいコーヒーを淹れようとか、来週はあのレストランでランチをしようとか、近々ちょっと遠出しようとか、未来の楽しみのために一日一日を生きていられる。あまりに一人で過ごすことが多いので、人に会う仕事も始めた。夫も子供も孫もいないし、生涯続けてきた仕事もないけど、私のことを覚えていて仕事をくれる人がいる。ボランティアで始めたことを有償にしてくれることもある。

幸せって何なんでしょうね。

今は誰からも傷つけられてないし、おびやかされてないし、自分なりに孤独を紛らすこともできる。今も相変わらず人づきあいがうまくないし、話すのが苦手だけど、狭い世界のなかでバランスを取ろうとしてる。時々は人に感謝してもらえるし、可愛い猫はときどき噛むけど毎日甘えてくれる。

多分、嫌なことに囲まれて逃れられないと思っていても、いつかは終わるってことだな。今は、何もない人生に感謝して平穏さを享受しよう・・・という気持ちになりました。