津村記久子「水車小屋のネネ」994冊目

いい本だな。好きだな。

ここ数年、けっこう本を読んでるつもりだけど、この人の本は初めて読んだ。原作が映画になった「君は永遠にそいつらより若い」は地味に好きだったけど、その世界とこの本の世界は地続きなかんじがする。

たくさんの傷ついた少年少女が出てきて、優しい大人たちにしずかに守られて大人になっていく。年老いていく大人たちに、成長した少年少女たちが混じってより若い人たちを守るようになり、森の木々みたいにゆるやかな世代交代が続く。その真ん中に、そばの粉や薬や岩絵の具を砕く水車の小屋があり、そこに人間のように話をするヨウムのネネがいる。

割と、「傷ついた子どもが優しい大人によって幸せになるおはなし」を読むと、心のどこかで反発することが多かった気がするけど(「この子だけがラッキーでも、他にたくさん救われない子がいるよ!」とか?)、この本には共感できたのはなぜだろう。この本の優しい大人たちもかつて傷ついた子どもたちだったからかな。それとも自分自身が、やっと”優しい大人”のほうの仲間に入れそうな気がしてるからかな。

自分がズタボロの少年少女だったころ、歩いて行ける場所に公立の図書館があったら通っただろうか。学校の図書館は、「今月たくさん本を読んだ人」が貼ってあったり、読みたいミステリーがなかったりして、ほとんど近づかない場所だった。大人に助けてもらった記憶もないけど、それ以前に自分の心が閉じてて、誰にもこじ開けられなかったかもしれない。高校に上がった時点でかなり心に異状が生じてたかもしれない、と今なら思う。その異状はごく最近まで、完全には治ってなかったとも思う。まあ、「普通」というのは全おとなの理想的な平均値でしかなくて、実在の個別のおとなたちはみんなどこかおかしいんだろうけどね。何より、今の自分は水車小屋のある町の人たち並みに幸せで穏やかに暮らせてることに感謝だ。神様にも、うちの猫にも。

この小説が新聞小説だったと聞いて、きっと毎日だと思ったら当たりだった。毎日新聞は大学生の一時期読んでたことがあって好きだったのだ。好きという前提で言葉を選ばずにいうと、その当時「毎日っておんなこどもの読む新聞だなー」と思ってた。家庭欄とかが充実してて、私でも読めたから。そういうイメージにこの小説は近い。

最近あまり本を読む余裕がないけど、この人の本はまた読んでみよう。