この本の紹介をどこかで見たとき、すごく下世話で品のない本かなぁ、でも読んでみたい、と思った。読み終わった感想をいうと、思ったような下品さは全然ない本だった。この著者のことは全然知らないけど、もともとこういう純文学っぽい文章を書く人なんだろうか。それとも「J」に対する敬意で、いつもより品位のある文章を心がけたんだろうか?ファンの人から総バッシングを受けそうだけど、「J」自身の下世話な男性の話や同性に対するどろどろした妬みそねみに比べて、この本のほうがずっと上品だ。
瀬戸内寂聴の本はエッセイ本数冊、伝記数冊、性愛小説数冊を読んだ記憶があって、性愛小説以外は感動したものもあったけど、読み進みたくないと感じるものもあった。自分が聖人君子だというつもりは全然なくて、読み進みづらいのは自分の過去がよみがえってくるからかもしれないけど、ともかくこころよく読めないくらい、ぬるぬるした多数の触手にからめとられて嫌な気持ちになるような感覚があったんだよなぁ。。。
その触手に自分から身を投げてしまえば、その甘美さに夢中になってしまえるんだろうか?
この本は、「かの子繚乱」に似てる、というか、彼女自身が「かの子」だし、「母袋」は岡本一平のようだ。でも岸恵子の自伝的小説「わりなき恋」も、同じエピソードを別の作家が書いたんじゃないかと思うくらい似ている。
「かの子」にも「J」にもどこか少し反感をおぼえるのは、もしJと母袋のどちらになるかを選ぶとしたら、私はぜったいJだからかな。誰かに付き従う快感なんて一生共感できないと思う。自分の思い通りに人を振り回すことならできそうだけど、それが楽しいとも思えない気がするのは、憧れではなく、どこか身近なものとしてJやかの子を見てるからかもしれない。この先わたしはどんなババアになっていくんだろう・・・・。