萩尾望都「半神」689冊目

また萩尾望都の単行本を買ってしまった。この短編集は、どうも過去にまるごと読んだ記憶がある。それにしても面白いし美しい。少女まんがにしかない「夢」がある。うっとりした感じ。「去年マリエンバートで」みたいな、ゆったりとして夢見るようなトーン。これがなんとも好きなんだ。

タイトル作の「半神」はまさに、エドガー・アラン・ポーの歴史的な短編みたいな名作。ほかの短編も、どうも以前にも読んだことがあるな…。読み返してもまたこの世界に浸れる。SF好きな人も、少女まんが好きな人も、一度は読んでおくべきじゃないかな?と思います!

半神 (小学館文庫)

半神 (小学館文庫)

 

 

村田喜代子「人の樹」688冊目

敬愛する村田喜代子の本、しばらく追っかけていなかったうちにたくさん出版されてました。順次、読んでいきます。

この本は、かなり異色。タイトル通りともいえるのですが、1つ1つの短編で、樹木を人格のあるもののように描いています。たとえば「あたしはニーム。センダン科の木でハーブの一種よ」。現存する作家のなかで随一の想像力をもつと私は思っていますが、林が夜は歩くとか、人間の姿になって世話になった人の葬儀に出るとか、死んだ虫たちが樹皮にしばらくとりついているとか、なんだか不思議で豊かな世界です。

すごく地味で小さな作品集だけど、里山とふもとの村をまるごと包み込むような、時空を超えた温かさがあって。

でも私は、女の子の一人称より、昔話のような口調で物語を語るときが一番好きかも。

人の樹

人の樹

 

 

モハメド・オマル・アブディン「わが盲想」687冊目

高野秀行の本をたくさん読んでたら、この人のことが出てきて、興味がわいたので読んでみました。スーダンの視覚障碍者で、日本の鍼灸学校に留学してきた後、コンピューターや政治を学んで、東京外大の助教になったらしい。長年学生でい続けたことのうしろめたさも書いてるけど、真剣な勉強を続けられるエネルギーを尊敬します。

アブディンさんは高野さんと違って、放浪しつづける感じじゃないなぁ。拠点を定めて家族を増やして、面白いけどそれより実は真面目なんじゃないかという印象。今ネットで調べてみたら、学習院大学政治学科で特別客員教授をしているとのこと。めっちゃ頭いいんだなぁ。ていうかYouTubeで彼の講演を見たら、日本人かと思うくらい何の違和感もない話し方。なんか愛嬌もあって人に好かれそう。

いろんな人がいていい、いろんな人がいたほうがいい、というのが私の考えなので、一人でこんなにダイバーシティを広げてくれる人は大いに賛成、というか、肯定、応援したいです。あまりこういうエッセイは書いてないようだけど、続編お待ちしてます!

([も]4-1)わが盲想 (ポプラ文庫)
 

 

三島由紀夫「金閣寺」686冊目

最初に読んだのがいつかなんて思い出せないくらい昔だけど、「100分de名著」に刺激されて再読。本より最近みた「炎上」とか「五番町夕霧楼」(佐久間良子松坂慶子も)の印象のほうが強い。

人が自分の勤務先の、しかも、貴重で美しく古くて大事な建物を焼くという心理は、単純な「社会への恨み」ではない気がする。劇場的犯罪だし、複雑で深く偏執狂的な長年の葛藤があったんじゃないかと思うにつけ、三島由紀夫版のほうをイメージしてしまいます。

三島由紀夫の人となりは「なんじゃこいつは」と思っていて、身近にいたら多分苦手だったと思う割に書いたものは高く評価してきた私ですが、この本はめんどくささが勝ってしまいました。「豊饒の海」が最高傑作だと思ってるんだけど、あの作品には主要人物自身の生死と愛憎が関わっているから、私には理解しやすい。吃音や醜さの自覚、つまり過剰な自意識だけが知的に空回りしつづけるのを1冊読み切るのは、けっこうしんどかったです。三島由紀夫のこの作品が一番好きな人とは気が合わないだろうなぁ。だから平野啓一郎の本はあまりピンとこないのか。ちなみに番組で朗読をやってるのが山田裕貴ってのが、なぜかは説明できないけど、恐ろしくぴったりだなと思う!

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

萩尾望都「バルバラ異界」683~685冊目

<ネタバレあり>

図書館で4か月順番を待ったけど、まったく順番が進まないのでとうとう買いました。複雑かつ広がりのある、SFでありながら少女まんがの美とロマンを備えた名作でした。 

去年マリエンバートで はもちろんのこと、惑星ソラリスと、ミッドサマーと思い出す映画がたくさんあって、言ってしまえば「盛り盛り」だ。それから、結末に向けてすごく大きな動き、天地がひっくり返るようなことが起こるんだけど、それについては科学的っぽい説明が少なくて、気持ちの上で持っていかれる感じの構成になってる。それが少女まんが的なのかもしれない。

この作品に関していえば、「自分たちが誰かの夢なのかもしれない」という、自我や存在意義をつかさどる大前提のゆらぎが、崩れてそのまま大団円に向かうところから、読者自身もグラグラしてくるんだけど、それでいいのだ、と受け入れるしかない。

でも、このモヤっと感が余韻でもあって、自分自身が半ば”青羽”の世界に取り込まれたような状態のままってことなのかも…。

じっくり、浸れました。

バルバラ異界 (1) (小学館文庫 はA 41)

バルバラ異界 (1) (小学館文庫 はA 41)

  • 作者:萩尾 望都
  • 発売日: 2011/12/15
  • メディア: 文庫
 
バルバラ異界 (2) (小学館文庫 はA 42)

バルバラ異界 (2) (小学館文庫 はA 42)

  • 作者:萩尾 望都
  • 発売日: 2011/12/15
  • メディア: 文庫
 
バルバラ異界 (3) (小学館文庫 はA 43)

バルバラ異界 (3) (小学館文庫 はA 43)

  • 作者:萩尾 望都
  • 発売日: 2012/01/14
  • メディア: 文庫
 

 

ロビー・ロバートソン「自伝 ザ・バンドの青春」682冊目

この本をもとにしたドキュメンタリー映画をやっと見たので、本の方も読みたくなってしまった。上下二段で515ページという分厚い本だけど、ロビー・ロバートソンの生い立ちからザ・バンド解散直前の「ラスト・ワルツ」まで、彼と一緒に一生を生きなおすかのような臨場感のある、冒険譚といってもいいくらいの面白さで、どんどん読み進んでしまいました。

「ロバートソン」という名字は北欧のものだけど、彼の出自はネイティブ・アメリカンの母と”トロントの裏社会を牛耳ってきた”ユダヤ人の父。白人といっても”そんなに白くもない”と彼は言っています。(ロバートソンは母の結婚相手の姓で、ロビーと血のつながりはない)

ユダヤの父系の親戚がみんなずば抜けた記憶力の持ち主で(祖母は禁酒法時代に、客の連絡先を全部暗記して密造酒を売りさばいていたとのこと)、ロビーも信じられないほど対バンしたミュージシャンたち、出会った女性たち、あらゆることをよく覚えているので、だから創作のように微に入り細を穿つ描写ができるんだ。

彼は文中で元ビートルズの故ブライアン・ジョーンズを「おそろしく顔が広い」と言っているけど、ロビー自身、あらゆる人と出会ってそれを楽しみ、分析してプロデュースする能力に長けていることがわかります。ザ・バンドって無垢なツアーバンドだと思ってたけど、ロビーというプロデューサーが交じってたから、あそこまで行けたんだな。ロビーに限らず、リーヴォン、リック、リチャード、ガースやロニー・ホーキンス、ボブ・ディランといった兄弟みたいなミュージシャンたちがどんな人だったのかという興味も、この本で満足しました。ロビーは頭脳と才能を持って人を動かしてきたけど、バンド仲間は彼の掌で踊らされている感じもあったかも。彼はすごくがんばったし成果も大きかったけど、感謝されることが少ないし、逆に恨みも買う。…なんかわかるような気がします。ちょっと孤独な人生だな。彼は愛する人なのに、うまくやればやるほど、愛されなくなってしまう。プロデューサーとして頭一つ上から他のメンバーは見下ろされているような気分だったのかもしれない。

ジミー・ジョーンズと名乗っていた頃のジミヘンと親しくなったり、ニューヨークではアンディ・ウォーホールと一緒にサルバトール・ダリのスイートを訪ねたり。 ザ・バンドってほんと謙虚で目立たないバンドってイメージだったけど、むしろ派手とも言えるこの交友関係。ラスト・ワルツのあれほどのゲスト陣も、彼の常日頃の外交のたまものか。(Wikipediaに載ってたリーヴォンの言葉「ロビーが自分の仲間を連れてきた、自分たちはほとんど知らないのに)

改めて「Music from the Big Pink」と「The Band」を聴いてみたら、メトロノームとはだいぶズレたリズム、不必要なフェイドアウト、あんまりうまくないドラム(普段ピアノを弾いてるリチャードによるもの)とかに気づいた。でもこれがいいんだ。きれいに録ったらマジックが消えてしまう。

ザ・バンドってなんか特別にロマンチックな、旅芸人的な魅力のあるバンドだったので、ついつい深く知りたくなってしまう。こんなバンドってもう出てこないだろうな。秘密を守り続けるバンドと、プライベートもバレバレのバンドしか今はもういないから…。

 

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「伝奇集」681冊目

ベルトリッチ監督「暗殺のオペラ」を見たんですよ。で、原作も読んでみたくなって借りてみたわけ。この本でボルヘスは、書かれなかった本のあらすじだけを語るっていう体裁で、いろんな物語を語ります。その手法は、ズルいくらい読みたい心をそそる、読む人の気持ちを知り尽くした読書者ボルヘス。小説の中で一番面白いのは帯で、映画で一番面白いのは予告編。(かもしれない。)しかし、そそるだけで答えをくれない。読者をけむに巻くのがボルヘスのやり口。これ、最初にやったもの勝ちだなぁ。

最初の「八岐の園」の2番目の物語「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」でもうつまづいた。事典の同じ版の違うコピーの一つだけ、ページ数が多くてその余分なページに「ウクバール」の項目があると「私」が語る。…次の章では私はどこかへ行って突然ハーバート・アッシュという男のことが三人称で語られる。どうやら1章で言っていたウクバールは架空の国で、2章で言っているトレーンというのは架空の天体。相互の関係はない。2章の後半にやっと「私」が戻ってきて、トレーンについて書かれた書物とハーバード某との関係や、トレーンの言語文化(デタラメな)について語る。…「オルビス・テルティウス」は?→附章で、「トレーン第一百科事典」の改訂版の名前だということが明かされる。…まことしやかにデタラメに架空の星や国の文法などについて語るあたり、筒井康隆みたい。真剣にその文法の組成を理解しようとしてはダメだ。読めば読むほどバカバカしくなる、くらいでちょうどいい。

続く「アル・ムターシムを求めて」では、これまた架空の、ムスリムの家に生まれたのに神を信じない青年(名前は出てこない)が冒険の果てに神のような存在、アル・ムターシムを探す、という物語のあらすじを語る。しかも、そのあらすじを小説として語る上で伏線をはりめぐらさなければならないとか、ズルい、実にズルい。今ならボリウッドで本当に作られていそうな荒唐無稽っぷり。

その次の「「ドン・キホーテ」の著者、ピエール・メナール」も、建付けが実にわかりにくい。”直喩”で言うなら、「現代(ボルヘスの当時)の作家が現代の文筆界の人間として「ドン・キホーテ」を書いたとしたら?」なんだけど、それを”隠喩”で、「ピエール・メナールはドン・キホーテを書いたのである」と言い切っちゃうから。リライトでも現代語訳でもなく、現代の人間が当時のスペイン語で書くから、メナール版のほうは(文章は一語一句違わないのに)「擬古体」とされる。なんてひねくれた文才なんだ。こんな屈折した純粋な文学的努力が正しく評価されるなんて、アルゼンチンってところはなんて文化レベルが高いんだ。
「円環の廃墟」では、いまならバーチャル・リアリティとか架空のキャラである"息子"自分の想像によって生み出す男について書いています。最初は心臓、次は…とひとつひとつの部位を丹念に思い浮かべて。息子自身が、自分だけが他人の想像の存在であることに気づかないよう心配りをするんだけど、結局のところ息子だけでなく、男自身も他人の想像によるものだと気付くという結末。いまなら「メタ構造」と一言で言いきれてしまう短編だけど、1941年にこれを書いたのって、すごい想像力。この人の作品って、全部理解しようと思わないで、するする読んでみたほうがすごく面白い。

「バビロンのくじ」では、売価が0円のくじが全国民に発行され、当たりの極みは高額の現金、外れの極みは死刑…と、「運命は誰がどうやって決めるか」をイメージしたのかな、と思われる短編。

改めて読みなおした「裏切り者と英雄のテーマ」(「暗殺のオペラ」の原作)は、舞台がアイルランドになってるけど、それはヴェネチアでも南米でもポーランドでも良かったとまずボルヘスは書いてる。独立紛争があった国ならどこでもよかったということ。英雄と思われている者が実は裏切り者であった、という設定は、それだけで作品がいくつでも書けそう。(このあと6篇続くけど、集中力切れてきた)

あらすじと、その小説の書かれ方がわかっていれば、読む必要はない…という感覚は、いままでイヤというほど小説を読みまくった人にしか持てない感覚だと思う。イヤというほど映画を見まくっていて、あらすじとクライマックスだけ見られればいいや、とたまに思ったりしている今の私には、(当人の才覚は別として)その気持ちが少しはわかる。Wikipediaボルヘスを見てみると、この本が書かれた10年後にはほとんど視力を失っていたらしい。すでにこの頃視力が弱ってきていたとすれば、こまごまと執筆することが辛くなっていたのも、「あらすじを語る」ことに終始した理由の一つと考えていいんじゃないかな。

ガルシア・マルケスノーベル文学賞を取ってボルヘスが取らなかった理由について、私ごときに思い当たることがあるとすれば、ボルヘスは尖っているし難解だから(すっごく面白いのに、面白さがわかるまでに要する時間と努力が半端ない)。ガルシア・マルケスの私が読んだ数冊は、物語になっているのでするする読めるのに、読み終わると異世界に連れて行かれたような不思議な感動が残る。この「不思議な感動」こそが芸術のダイゴ味ですよね?

映画も本も、本当に気に入ったものを何度も何度も繰り返し味わうほうが、面白いと思うものも思わないものもとにかく数をこなすより、濃い体験ができるのかもな。ただ、片っ端から乱読、乱鑑賞しないと、運命の作品には出会えないのがツライところ。

この本は挑戦するハードルがものすごく高いけど、繰り返し、繰り返し読んでいるうちに、頭の中でストーリーがどんどん広がって、ベルトリッチみたいに表現してみたくなる本かもしれない。読む人がどういう仕掛けで刺激されるか、という観点で読書してみるのって面白い。

(すっかり長くなってしまった!)

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)