小松左京「闇の中の子供」725冊目

岸政彦「給水塔」の中で、筆者が大好きな小説として語る「少女を憎む」が読みたくて借りてきました。

美しい思い出と陰惨な結末で構成される小説が好きというのは奇妙な気もするけど、なんとなく納得。「ラブリーボーン」っていう映画を思い出しました。まだ14歳の妖精みたいに可憐なシアーシャ・ローナン演じる少女が、殺されて魂がさまよっているというお話なんだけど、私はその映画の感想に「人の魂は、どんな悲惨なことをされても、美しいまま損なわれない 」と書いていました。その少女の悲惨な死より、美しかった時間に目を向けることができたのは、身近な人たちの死をいくつか経験したおかげで、恐れるだけじゃなく、生命に対して肯定的な気持ちを持てるようになったからかも。

人は死ぬじゃなくて生きるんだ。と、割と事あるごとに言っています。生まれてから死ぬまでの生の全部が人生なので、死の瞬間とその前後だけに注目したくない、その人が生きた一番晴れやかな瞬間を覚えていたい。人間の一生と一瞬はそれほど違わないのだ、悠久の宇宙の時間に比べれば。

この本には表題作など10個の短編が収録されていて、どれも面白かったです。それぞれに確かな知性で豊かな世界が作り上げられている、と感じました。戦争やその前後に、貧しさや大人の身勝手で理不尽な死に追いやられた、幼い、あるいは若い命たちに対する意識が強く感じられるものが多い。「日本沈没」を書いた未来、あるいは社会的SF作家っていうイメージが強いけど、大昔に買った短編集に載っていたこの人の「くだんの母」っていう、和風ゴシックホラーっぽい短編の印象も強いので、この本に漂う霊や恨みつらみにも納得してしまいます。

本当に面白い短編集でした。

 

 

東田直樹「自閉症のうた」724冊目

この人の本を読むと、いつもパッと目が開かれたような気がする。

私が「理解した」と思っていたことは、「自分や誰かが設定した仮説に納得したつもりになること」でしかなく、東田氏がものごとを語るときは「理性と五感でわかるまで探って出た答」をつづっているように見える。大げさかもしれないけど、私には彼の言葉が賢者の言葉のように感じられる。人に突っ込まれないか、どう批判されるだろう、ってことばかり気にしながら思索をしている健常者より思索が深くなるのは、もしかしたら当然かもしれないけど。

彼の創作「自閉症のうた」と「旅」もよかったなぁ。一人暮らしで電話ひとつする相手もいない自分が、SNSをやめたらアウトプットも交流もゼロになる。健常者としての自由を持て余すほど味わってきた自分が、その状況になったらどうだろう。もちろんその程度の不自由は、もっと大きな檻のようなものにとらわれてきた人とは比較にもならないけど。でも、そうなったときに自分の想像力とか知力とかを保てるか、少しでも深まることはあるのか、と想像してみたい。

こんなにたくさん、ずっと書き続けてたんだな。好きな作家なので他のも読んでみよう。

 

岸政彦「図書室」723冊目

この人の小説は好きすぎる。

「図書室」の「私」は私だ。大した思い出はないけど、好きじゃない人と結婚したりしないで、50歳になっても自活できてる。新しく何も起こらないから、昔のことをよく思い出す。思い出すことは、どれもまぶしいように思われて、なんだか笑ってしまう。

家族を持たなかった分、何かもっと困ってる人を助けられたんじゃないか、もう少し何かできたんじゃないか、と、考えてもしょうがないことを考えて歯ぎしりばかりしてるけど、こういうのを読むと(あるいは他の人の話を聞くと)今ここにいて、いやなことをせず、時々美味しいものを食べたり、面白い本を読んだりしていることに足りていればいいんじゃないか、と思う。

自伝的エッセイと思われる「給水塔」のほうに、万博公園にあった児童図書館の話が出ている。著者が大人になってから訪れたその図書館に、かつて寂しい女の子と男の子が通っていて、一世一代の大冒険をしたかもしれない…と想像して「図書館」を書いたのかな。

相変わらずいろんなことがうまくやれず、何事も長続きせず、怒ったり嫌気がさしたりしながら暮らしてるけど、天気のいい日に電車に乗って遠出したりできればそれでいい。私にも、思い出すだけでポカポカと心が温かくなるような瞬間が、かつてあったのです。

図書室

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李琴峰「五つ数えれば三日月が」722冊目

彼岸花が咲く島」が面白かったので、過去の作品も読んでみます。

この本に収録された2編は、台湾から日本に留学してきた女性が日本の女性に恋をする、親密で繊細な作品。著者が自分の生活のなかで経験したり想像したことを膨らませたのかな、と感じる、若い女性の周囲数メートルくらいの狭い世界のお話です。

この人は言語感覚がすごい。日本語が、ヘタな日本語ネイティブよりずっと正確で美しい上、日本語と中国語の漢字の違いとか、いま日本語を学ぶ台湾人の言語や昔日本語を話していたけど忘れかけている台湾の老人の言語のような、”なんか変”で片付けられがちなものを、すくい上げてその違いをじっくり感じとろうとする。これほどの言語感覚をもった人はあまり見たことがないです。

私は言葉を大事にする人が好きだ。この著者も、このあと言葉の感覚をさらにふくらませて「彼岸花が咲く島」を生んだ。これからさらに広い世界に舞台が移っていくんだろうな。映画「メッセージ」の、墨を円形に吐き出すことで伝え合う言語みたいな、私には想像できない世界をどんどん作っていってほしいです。

 

サイモン・シン(青木薫・訳)「フェルマーの最終定理」721冊目

あー面白かったー!

本を読んだだけなのに、まるで自分がその世紀の証明にずっと立ち会ってきたみたいに、祝杯を上げたくなっている。ロールプレイングゲームで、アンドリュー・ワイルズと数名の最後まで協力した勇者(数学者)たちと一緒にチームを組んで、とうとうダンジョンを制圧したような。自分は足手まといにしかならなかった、犬とか狸とかのキャラだと思うけど。志村・谷山両氏を始めとして、チームに加わりながら初志を貫徹できなかった勇者たちも多数。もとより、ワイルズだって最初から隊列に加わってたわけじゃなかった。だけど、世界最大の(かどうか知らんけど)謎を残して消えたラスボス(いや悪役じゃないけど)フェルマーはこのとき完敗を期したのだ!(いやむしろ共に勝利を収めたのでは)

浮かれて不適切な例えをいつまでもしてしまうくらい、冒険活劇みたいに面白く読みました。数学者たちも恐ろしく魅力的だけど、彼らをここまで輝かせるサイモン・シンって人の筆致はすごい。流れるように自然な日本語訳にしてくれた青木薫の力も無視してはならない。

だけどこの本をもし10歳のときに読んだとしても、数学の本を開いたとたん、「やっぱ私、文系だわ…」と閉じてしまったと思います。

それでも、沼にはまった数学者たちの気持ちを少しだけ理解できた、ノンフィクション数学ダンジョンエンターテイメントの大傑作でした。とにかく面白いから読め、と誰にでもお勧めしたいです。

 

李琴峰「彼岸花が咲く島」720冊目

どこだろうこの島は、なんだこの言語は?

そういう新鮮な驚きが、読み始めてすぐにありました。地図が冒頭に載っているけど、形からわかるようなわからないような。でも、登場人物の一人、ヨナの話す言語を見てひらめいた。「これは与那国だ!中国語圏に一番近い沖縄の島だ。」昔は天気のいい日は与那国空港からも台湾島が見えたそうで、古ぼけた写真が小さい空港のどこかに貼ってあります。

ヨナの話す「ニホン語」は、シングリッシュシンガポールで日常的に話されている、中国語の混じったような英語)の語尾と同じ「ラー(了)」や「マー(嗎)」といった中国語の語尾が、沖縄ことばの最後にくっついてる。面白い。与那国のことばは消滅の危機にさらされてるというけど、本当にこんな言葉を話すんだろうか?

調べてみたら、実際の与那国方言は沖縄の言葉に近くて、特に中国語の影響はなさそう。ウミが話す、完全に漢語を排した(代わりに英単語が混じる)「ひのもとことば」も実在しないものだし、両方とも著者の作った新しい言語なんだな。

なんて面白いことを考える人なんだろう!…ちょうど私は今、日本語教師の勉強をしていて、方言やピジンクレオールの面白さを知ったところ。特に”ルー大柴語にそっくり”な小笠原クレオールの音声をネットで見つけたときは、残したい!と思ってしまいました。外国人が初めて日本語を学ぶとき、完全な日本語を身につける前に、母語の特徴が残った”中間言語”というものを用いているんですって。本当は世界中の人たちは、一人ひとり別の言語を持っているんじゃないか?言語って、なんてバリエーションの豊富な、正解のない世界なんだろう、とちょっと感動しました。

だからこの著者の言語感覚にすごく共鳴します。プロフィールを見たら、台湾生まれで日本で日本語教育学を学んだ人でした。なるほど。大人になってから別言語を本格的に学んだ人でなければ感じないであろう面白さを、形にして見せてくれました。

与那国島を使った女たちのファンタジーを、自分が発明した新言語でつづるというオリジナリティ。すごく面白く、自分では想像できなかった世界を見せてくれました。この作家のひらめきがこの先どう広がっていくのか、すごく楽しみです。

 

山田詠美「血も涙もある」719冊目

新刊を見かけたので、久しぶりに読んでみました。ドロドロの女の愛を絶妙な筆致で巧みに描いたものを期待して。

感想をいうと、全然ドロドロしてなかった。結婚している男女とその周辺の女と男の愛欲はあるんだけど、ぜんぜん迫ってこないくらい乾いてた。書いたものを読まされてるという気持ち。ことさら男を愚かに描くため、末尾に「!?」なんか多用したりしてるからかな。

この1冊だけを読んで評価を決めたくないので、最近の他の作品も読んでみようかなと思います。