高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」901冊目

単行本の小説はすぐ読み終わる。この本も、順番を待ってる人がたくさんいるから、早く図書館に返しに行かなければ。

ところで、日本社会っていつからこの本の中の職場みたいに均質化してしまったのかな?私にいたいろんな職場には、しょっちゅうケーキを焼いてくる人がいたら「俺甘いの苦手」とか「私ダイエットしてるから」と言える人が何割かいたと思う。でも思い出して見ると、私が就職したときの”リクルートスーツ”は紺でなくベージュにしたし、同僚の女性なんて、きちんとしたワンピースで面接に臨んで合格してた。会社員の通勤着のきちんとしたやつ、で良かったのだ。今の、季節の風物詩みたいに同じ紺のスーツで同じような髪型とメイクの子たちがぞろぞろ歩くのを見るとちょっと怖い。

面接室へのノックは3回?決まりがあることを好む人は、前からたくさんいたんだろうけど、勢力を拡大してる。そういうのが嫌で嫌で、苦手で合わせられなくて私は会社勤めを辞めたけど、長年会社の仕事の中で得たものを使って生活してる部分もあると思うので、集団生活に耐えることも大事なのです。(取ってつけたように)

話代わって「おいしいごはん」。忙しいときには確かにこれが呪いに聞こえる瞬間がある。(9割のご飯はなるべく美味しくて美しいものを食べようとして毎日あちこちに出かけている私でさえ)でも、美味しいご飯や豪華なレストランが善きものであるという観念を押し付けること、押し付けられることは勘弁してほしいと思う。

「芦川さん」の鈍感力(わざとか)は強烈だけど、彼女の賢さについてもっと知りたかったなと思ってしまう。なんか、料理上手だったとだまされた男たちが口々に言う、結婚詐欺常習犯の女性を思い出すけど、彼女は専業主婦におさまっている、人口の何割かを占めるマジョリティの一員なんだろう。鈍感というより感じなかったことにする、何かありそうだと思っても考えないことにする、「思考停止力」かもしれない。村田沙邪香なら芦川側からの腹にズンとくるストーリーを語ってくれるかな・・・。

 

小林真樹「日本のインド・ネパール料理店」900冊目

ものすごく面白い本だった!

ご近所散歩から飛行機を乗り継いで行く地球の果てまで、あらゆる旅を続ける私としては、徒歩で行ける非日常である「その国で生まれ育った人がやってるレストラン」に行くこともまた、旅の楽しみのひとつ。同じ著者の「食べ歩くインド」は用語がさっぱり頭に入ってこなくて太刀打ちできなかったけど、この本の用語はなんとなくだいたいわかるし、知ってる店も出てくるし・・・それより何より、大河ドラマのようなネパール人・インド人のいくつもの一族たちの日本への大遠征、大胆不敵なレストラン展開の物語が、面白いのなんのって・・・。こんな面白いもの、地上波はムリでもNetflixとかAmazonプライムとかがお金を出してドラマ化すればいいのに。

なんか日本の人って私も含めて全員、「起業」って恐ろしく大変で怖いことだと思ってるけど、ネパールの人々は料理の腕を磨いたら全員自分の店を持つのが当然のように見える。日本人が店を持っても廃業することは多いけど、彼らは店を開くのはもちろん、畳んだりすることに何のためらいもないようだ。戦後の闇市の頃の日本みたいに。

ネパール食堂でカレー(正しくは「ダルバート」)食べるとやけに元気が出るのは、彼らのパワーを分けていただいてるからなんじゃないだろうか。

やっぱり、日本にいる外国の人たちは面白い。外国に行かなくても異文化交流はできる。うん。今週末もネパール食堂に行って来よう・・・。

 

川上未映子「春のこわいもの」899冊目

6つの短編が収録された単行本です。どれも面白かったけど、「くすり」と共感するには笑いがなくて、どきっとして目が覚めるという驚きもなかったかなぁ。わりと面白かったよと読み飛ばしていいんだろうか。この作者は、もっと深い、いわゆる”爪あと”を読者に残そうと思わないのかな。なんとなく、もっと心に食い込んできて、イヤな感じだけど忘れられないような作品を勝手に期待してたのかもしれません。「乳と卵」はそういう気持ちになったような気がするのでした。

 

友利昴「エセ著作権事件簿」898冊目

面白かった。刺激的だった。タイトルやデザインのテイストがトンデモ本やゴシップサイトみたいだし、文中ちょくちょく英語の四文字言葉に相当しそうな表現が出てくるけど、これはおそらく、法律書を読まない一般の人たちのための由緒正しい法律書だと思います。

私は一般人に毛が生えた程度の”知財に興味ある人”かつ”著作権に大いに関わる仕事をしている人”で、今の居場所はテレビ番組の制作側に近いところです。そこでは、裁判で争ったら勝ちそうか負けそうか?という想像を働かせることなく、規定に合致しているかどうか(※規定を定める上では裁判例はたぶん参照されてると思う)、訴えられそうか、クレームがきそうか、怖い相手かどうか、といった判断基準で作業が流れていきます。だからこの本に書かれた、身近な事件の判決の数々を見て、目に厚くかぶっていたウロコ(ホコリ?)がポロポロ落ちていくような痛快さがありました。

というのも、20年ほど前はよく訴えられる外資系の会社の法務部にいて、火事場の火の粉のように次々に降りかかってくるクレームや言いがかりや訴訟を、アメリカの強面弁護士たちと一緒にぶんぶん払いのけていたことを思い出したのです。あの頃は、お手紙にお返事も書かずに無視したり、それなりに納得感のあるクレームを一蹴したりする彼らに引いたことも多かったけど、そもそも法律っておとなのけんかを裁くために作ったもので、それを使わずにトラブルを解決、いや、回避しようとするのは【忖度】に逃げる以外の何物でもないのだわ。昔学んだことはいったい何だったんだろう、じゃなくて、せっかく学んだことを私は何で忘れようとしていたのか・・・それはムラ社会に少しでも馴染もうとしたからだけど、結果まるで馴染めてないので、自論を通しても同じだったんじゃないか。人生って、世渡りって難しい・・・

現在の立ち位置に戻って改めて考えてみると、個々の小さな判断をするとき、怒りそうな相手かどうかという点は時間や労力のコスパ上は意味のあるポイントだけど、本気で争って楽勝できそうかどうかというポイントを加味すると、心にだいぶ余裕をもって先に進める気がします。

クレームを恐れる側として仕事をしていると、受身の視点しか持ちにくいけど、この本は”逆上してしまったひとびと”の事情や状況を把握する上で非常に重要な視点を与えてくれます。過剰に敏感に、かつ攻撃的に活動するネットから大きく影響を受けて、”世論(今もあるんだろうか)”がゆがむ時代に、「ちょっと待った!」と力強くストップをかけてくれる本です。ネットの論調に乗っかって気楽に誰かを攻撃してる人たち全員、読んだ方がいいと思います。(読まないだろう、という気もするけど)

地球の歩き方BOOKS「世界のすごい駅」897冊目

最近。このシリーズをぱらぱら読んでうっとりするのが日常になってるな。

旅行行くときは国内。これでは「兼高かおる世界の旅」を見ていた戦後世代じゃないか。まぁこれも楽しいからいいか。(環境に順応するタイプ)

さて恒例の「私はこの中の何カ所に行ったか」ですが、ヨーロッパではロンドン中央部のターミナル駅はほとんど行ったと思うな、なぜならそれは東京でいうところの東京駅、上野駅池袋駅新宿駅、品川駅、みたいなものだから。駅舎を外からじっくり眺めたことのない駅も多いけど、最寄りだったアールズ・コート駅の高い天井なんかは、これには載ってないけど好きだったな。

アムステルダム中央駅は乗り継ぎで使ったけど、暗いホームを移動したことしか記憶にない。ローマのテルミニ駅は出張のときご飯を買いに行ったと思う。ベネチアには駅があった記憶もない。ヘルシンキ中央駅は、徒歩3分のホテルに泊まったし電車にもひとりで乗ったのに、この記憶の薄さは何だ。シベリア鉄道に乗って終点のウラジオストク駅でだいぶ写真も撮ったのに、なんだかこの本に載ってるのと印象が違う。

アメリカではNYに滞在した時にグランドセントラルステーションに通って、オイスターバーでオイスター以外のものを食べた記憶がある。(南北合わせて1駅だけ)

オセアニアと中近東アフリカは一か所もなく、アジアは台北駅と観光バスで行った韓国のDMZ内の都羅山駅の2カ所だけ。

どの航空会社にするか、とか、空港のレストランはどうか、なんてことはいつも旅行のときに調べまくるのに、鉄道駅は通過点としか考えていなかったので、ホームとホームがどれくらい離れてるか、チケットはあらかじめ買えるか、みたいなことしか調べたことがなかった。ということを、改めて思い知らされました。

国内は東京駅はともかく金沢駅は記憶にないし(車でしか金沢入りしてないわ、そういえば)駅を目指して行ったのは門司港駅くらい。でも、流氷ツアーのとき観光バスで行った無人の「北浜駅」が載ってるのは嬉しい。深い雪のなか、駅のホームにある「停車場」っていう喫茶店の中が温かそうで、もう少し自由時間があったら絶対コーヒーくらい飲んだんだけどな、またいつか行きたいな、とずっと思ってる。地底へつづく土合駅と海に突き出した日立駅も行ってみたいな。

これもまた、とっても素敵な本でした。

 

恩田陸「puzzle」896冊目

この作家は、”しつらえ”を作るのがうまいなぁ。ワクワクしながら読み始めて、わずかずつ明かされる謎にドキドキする。この作品に関しては、何重にも重なる複雑な構造があるわけではないのと、映像化しやすいイメージが続くので、テレビのスペシャルドラマみたいな形で前後編でやるとよさそうな感じ。

この無人島って、軍艦島がモチーフかな。今はツアーで誰でも簡単に(欠航さえなければ)上陸できるけど、安全を確保するため、建物の中にはほとんど入れない。だけど謎やロマンがたちこめたあの場所に行けば、こういうミステリーを書いてみたくなるのもわかるなぁ・・・。

 

小林真樹「食べ歩くインド 北・東編/南・西編」894・895冊目

誰なんだ、こんなすごい本が書ける人は?

やっと最近、こじゃれたインドレストランでカレールーを使わない”スパイスカレー”と呼ばれるカレーを食べて、なにかちょっとイケてることをしてるんじゃないかと思ったり、大久保のネパールレストランで「地元っぽ~い」などと黄色い声をあげたりしていた私。甘かった、甘すぎた・・・。同じくカレー好きの友達が「知らない言葉ばっかりですごい本だ」と言っていたのもごもっとも。インドは一度ツアーで行っただけでも、その混沌としたエネルギーにテンションが上がりすぎて、楽しすぎて、頭がくらくらしたのに、隅から隅まで回ってうまみを味わいつくした人がいた。日本語で2冊も本を出していた。私が食べたら、半分くらいは多分「何このおいしい食べ物」、一部は「うぐー、無理」(マスタードオイルとか苦手)となるんだろうな。でもそれ以前に、暗くて不思議な香りが強くただよう店内に入っていけるだろうか。牛糞の灰に埋まった焼き菓子をそのまま手渡されて、食べられるんだろうか。

長くいれば多分慣れちゃうと思うけど、相当びびるだろうな。インドは憧れと畏れの共存する謎の亜大陸だ。

凡人の私は、「日本の中のインド」の方も読んでみて、行けそうなところに行くところから始めてみよう。