山本七平「日本人の人生観」183

大学院の先生が、これ読みなさいとくださった本。S先生、ありがとうございます。

この本の第一刷は1978年。2005年の時点で第34刷を数えるベストセラーです。著者は1921年生まれの著述家で、1978年は著者にとって第二次大戦終戦が人生のちょうど真ん中、つまり25歳で終戦を迎えて、その後25年を経た50歳あたりでこの本を出したことになります。福沢諭吉は70年の人生の前半に江戸時代、後半を明治時代に暮らしたが、世の中の大きな変化に動じることなく未来を予測できたと言われているそうです。自分も人生の半分を終えたところで世界が一変する経験をした者として、考えるところを述べた、というのがこの本です。

著者はキリスト教徒の家に生まれずっとキリスト教下にあった人で、日本では少数派であることを自覚しており、その独特の視点から「それ以外が多数を占める日本人、日本社会」を客観的に分析しようとしています。

しかし宗教が人や文化を作るって本当?これがどうもひっかかるのです。もっと原始的な民族性みたいなものが人間にはあって、文化も宗教も人間が自分たちなりに作り出してきたものだという意識が、私にはあるようなのです。

私は無神論者ではなくて信心深いほうなんだけど、神あるいは別の名で呼ぶなにか偉大なものを、どう設定してどう信仰するかは絶対的なものではないと思ってるし、その相対性を認めない限り宗教戦争はなくならない(ので、そういう相対的な認識をしたほうがいい)と思ってます。あるいは、人間ごときに本当の神の摂理を理解するなんてことは無理なので、自分の知っている(つもりの)ことが正しいと信じて、そうでない人に説教したり攻撃したりするのは傲慢だ、と思ってます。みんな自分なりに、自分たちなりに、少しでも理解しようとするだけ。その努力はとても重要だし美しいけど、誰にもマスターできないものに立ち向かっているという意識を忘れちゃいかん、と思うのです。

だからこの本は、日本にいま住んでいる人たちが今までに培って築いてきた文化や宗教を語るのであれば納得できるんだけど、最初に宗教ありきで、日本人は仏教や神道であってキリスト教ではないからこうだ、と語られることが腑に落ちない。

でも、はっとするような指摘はたくさんあります。日本人は「自然に合わせる」といいつつそれは現在の状況が未来永劫変わらないという前提で「現在の社会のあり方にあわせる」という意味であって、この先政権が変わったり戦争が始まったり終わったりするかもしれない、金融市場が暴落するかもしれない、という感覚を持てずに終身雇用を信じているのである。しかしいったん「自然」が変わり、終戦を迎えたりするとあっという間にその外圧に過剰適応して急にアメリカのライフスタイルが浸透する。・・・その通りだと思います。

ただ、「日本人は波風立てずすべて均質に、高さの揃った稲穂のように生きることを旨とする」といわれても、昔も今も破天荒な人はたくさんいたわけで、今の日本にも小学校に行けばクラスに1人くらいいつもバカな回答をする子供がいるはずだし、「みんなが均質を志向する」んじゃなくて「異質なものを無意識のうちに無視する」というほうが正しいと思う。自分の内から均質志向が出てくる人ばかりではないけど、上から多数の人たちを見たときに、均質なものとして認識して、まとめて処理しようとする傾向があるんだと思うのです。

日本人が戦時中外来語を全部墨で消して「なきもの」として扱い、戦後はこんどは軍事教育用語を全部墨で消したのは、歴史的経緯を含めていかにして今に至ったかをキープするのでなく、新しい絶対的なルールに従うことのほうが楽だという感覚があるからだ、という指摘も鋭いです。後々役立てるために経緯を記録しておいて(機械的にではなく)、本当に後で見直す、というのは難しい。でもこれ、一般の会社レベルでは日本の人のほうがまだちゃんとやってて、アメリカ人の方がまるでできてないような気もするんだけど、この現状を著者が見ることがあったら、どう説明したでしょう。私には今の状況が日本は日本らしく、アメリカはアメリカらしいと思えます。

しかしわずか152ページなのに、何度も読み返して、ずいぶんいろいろなことを考えさせられた本でした。自分を振り返って、自分の考えをはっきりさせるのにとても役に立った気がします。やはり、人が真剣に何かを伝えようとするパワーってすごいですね。著者にどれだけ共感できるかというより、自分がどれだけ得るものがあったか、という観点で大きなプラスでした。以上。