森達也「放送禁止歌」381冊目

面白かった。
自分の身に迫ってくる、ぞっとするものもあった。

新宿バルト9の地下にある、Brooklyn Parlourっていう相当いけてるカフェラウンジには、写真集やら単行本やらいろんな本が置いてあって、読みながら時間をつぶすこともできれば、気に入ったものを買って帰ることもできます。
そんなこじゃれた店で、映画の後にワインでも飲みながらふと手にとったのがこの本でした。うそ~、なんでこんな本が。とも思ったけど、わたし以外のお客さんたちとも、意外といい出会いがあるのかもしれない。前置きが長くなりましたが、この本は社会情勢にほんの少しでも興味があると思っている日本の人みんなに読んでほしい、真剣な本です。

放送禁止歌」といえば誰でも何曲か頭に浮かぶでしょう。「イムジン河」、「自衛隊に入ろう」、「竹田の子守唄」、「世界革命戦争宣言」、「君が代(キヨシローversion)」などなど。でも、”放送禁止歌リスト”ってものは、本当はどこにも存在しないんだって。自粛自粛で、勝手になにかの権威やなにかの権利団体を恐れてかけないようになっただけなんだって。わたし最近とみに、同じようなことがすごくたくさん起こってる気がして薄気味悪いなと思ってたんですよ。近隣諸国のことをやたらと悪く言う人たちや、そういう人たちをやたらと悪く言う人たち。仮想敵をでっちあげて吐く罵詈雑言を善意で転送し続ける人たち。なんか、関東大震災のあとに近隣の国の人たちが犯罪を起こしていると思い込んで攻撃していったのと同じことが起こりそうで怖い。考えることをやめて、「権威」とかと呼ぶそういうものを、調べようともしないで叩き続ける。"権威の壁の前に一介の卵である自分はつぶされる"ってことが基本にあって、その権威の存在を疑うところまで遡ることがない小説が、よく読まれる。枯れ尾花の正体を暴くより、幽霊を恐れていたい。幽霊を作り出すのも、コロボックルの実在を信じるのも人間で、信じなければ存在しなくなる。「権威なんて本当はどこにもなかったんだよ!だから憎み合うのは止めて!」なんてことを切実に思ってしまうのは、西洋かぶれの合理主義的考えなのかな?

もっとうまく説明できたらいいのだけど。
とにかくできるだけたくさんの人に読んで考えてみてほしい本です。
著者は凄い人というわけではなくて、すごく普通の人です。わたしやあなたと同じくらいだまされやすい、だまされてきた人が、たまたまあるきっかけで本当のことを調べ始めて、ちゃんと関係者に会って話したらあっけないくらい本当のことがわかった、という本。だからこそ説得力がある、とわたしは思います。

ゼミの先生にはいつも「原典に当たれ、臆さずに本人に会いに行け」って怒られたものでした。それをするのとしないのとで、こんなに違うんだということをまた思い知らされました。