ニコルソン・ベイカー「ノリーのおわらない物語」910冊目

この人の本を最初に読んだのは、1992年にロンドンに滞在してたときだ。半年しかいないのに、毎月1ポンドとかの廉価でペーパーバックが送られてくる「ブッククラブ」に入ってたときじゃないかな。ただしその本のタイトルは「VOX」、日本語版は「もしもし」。モニカ・ルインスキーが大統領に贈ったとか贈らなかったとか、話題になった小説です。(エロティックというより笑える気もする)

この観察眼が面白くて、確かそのあと「中二階」と「室温」も読んだはず。日本語訳はあと数冊だけなので、全部読んでしまおう。(原書が読めたんだから他のも読んでみれば?とも思うけど、積ん読がある程度片付いてからね・・・)

で、この本は彼の9歳の娘が学校の送り迎えの車の中で話したことをベースにしているらしい。父親に似て感受性豊かな面白い子なんだろうな。誤字や言い間違い(すごくよく訳されてて、自然に読める!)も楽しい、活発な女の子の世界。こんな利発な子が家にいたら、毎日楽しいだろうな。

彼女(小説のなかの)は毎日、荒唐無稽なファンタジーを考えてはノートに書いていきます。学校(アメリカ人だけど今はロンドンで学校に通ってる)では、ギリギリ陰湿にならない程度のイジメが毎日続いてる。いじめられてる女の子と主人公は仲良くしている。というか彼女はそう務めている。そのイジメは、本の最後まで完全になくなったわけじゃないけど、ずっとかばってる子がいることで、いじめる方がだんだん飽きてきたみたい・・・と終わります。

それでも、ちょっとホッとする。イジメ・・・私は中年の今に至るまで、どちらかというと「いじめられる方」で、それは多分、生意気に見えるし目立つ仕事をすることもあるのに、ぼーっとしてて攻撃的じゃないので、典型的な「意地悪してもいいタイプ」だと思われがちだったんじゃないか、と自己分析してます。あまりにも長年にわたったり、ひどく陰湿だったりした人たちのことは、できるだけなかったことにしよう、忘れよう、としてきたけど、なかなか心の中で赦すのは難しい。でもこの本の最後のページを見ながら、忘れてくれたらそれでいい、と思えた。だってその子はもうその人からは攻撃されないってことだから、良かったんだ。自分もそれと同じだと思えばいい。思うことにしよう。

人生が学びだとすれば、赦すことはその中でも1,2を争う難しい課題。でも私は怨みを今生に残して亡霊化したくないので、きれいに成仏できるよう、心の精進をそれなりに続けますよ・・・。