中村安希「インパラの朝」996冊目

この本もまた「一万円選書」のなかの一冊。冒頭でつまづいて、最初の30ページを読むのに半年以上かかってしまった。読み終えてみると、彼女の目で中東やアフリカの地べたの風景を見たような実感があるけど、最初はすごく自分で自分を見つめて書いたエッセイのようでなんか苦しかったのだ。中国の”ゴキブリ列車”は読んでて気分が悪くなったし、チベットの”ハロー、マネー”も。でもそこを超えてマレーシアに入って以降は、すごく楽に読めた。何だろうこの違い。

私は海外を含めた旅行が好きだったけど、「バックパッカー」だったことはない。荷物が背負い式でも、切符と宿はあらかじめほぼ全部予約してから出かけたし(到着日を間違えて着いた日の宿がなかった、とかはあるけど)、知らない人と同室で泊ったのは「相部屋OK」の日本からのツアーだけ。長く滞在した国でも、自分以外の誰かの家に泊めてもらったことはわずかしかない。私には護身術も強い心も歩き続ける体力もない。何より、初対面の誰からも愛される性質がないしな・・・。それでも、その国の人たちと会話することはできるけどね。

この本で一番印象に残ったのは、格差が広がり、援助に慣れすぎたアフリカの何人かの人たちが、誰かがいう格差にがんじがらめになって、自力で何かできるというアイデア自体を幻想だと思い込んでいた場面。この悪い宗教みたいな呪縛って、なかなか解けないんだよな。これは日本にもたくさんある。SNSで豊かな会社や悪い政府を罵詈雑言で叩くけど、自分では何もしない、できないと決めてかかっていて体は動かさないし頭も使わない。かわいそうな自分は何をやっても被害者だと思い込んでいじめに加担する。何か言われると悪いのはマスコミだと言う、多分。悪いマスコミのせいで悪くなった社会で被害者として一生を送ることをやめて、自分で考え始めることをしないのは何でなんだろう。連帯感ってのは麻薬みたいに気持ちいいのかもしれない。

いまは、フルタイムの仕事とひんぱんな海外旅行で、いつも淋しい想いをさせてた老猫に孝行して、家にいるのが一番幸せなんだよなぁ。いろんな人と出会うのは楽しくて、友達がいるのは嬉しいけど、もう誰にも固執するのをやめて、そばに誰もいなくてもかまわない。そういう意味で、アフリカにいても家にいても、一人で世界に向かって心を開くのは、本当はあまり違わないことなんじゃないかという気もするのでした。