追跡団火花「n番部屋を燃やし尽くせ」1016冊目

まず賞賛と激励の拍手。まだ若い韓国の女性二人が、のちに警察や人権団体のサポートを受けるとはいっても彼女たちだけで、ここまでの戦いを成し遂げたことに感動をおぼます。と同時に、「無事でよかった・・・」。日本と同様韓国も、正義を貫こうとするものたちに必ずしも優しい社会ではないと思うので、この先もずっとずっと無事でいてほしいと強く思います。

SNS 少女たちの10日間」というチェコの映画は、この本で彼女たちが「韓国でもできるようにしたい」と強く主張している”おとり捜査”でSNS上の未成年への性的搾取の実態を明らかにしたものでした。対象とされる年齢や、もしかしたら性別には差異があるかもしれないけど、性犯罪はたぶんどこの国にもある。加害者のことを考えるのであれば、立場を守ってあげることではなくて、なぜ犯罪に至るのか、どうやったら未然に違う方向に関心を向けさせられるか、という方向で考えていったほうがいいと思う。おそらくそれは性欲の強さとか遺伝子とかより、強い不満をどこにぶつけるか、という問題なんじゃないだろうか。加害の意識があるから、自分より弱いものに矛先が向く。それに、良いことより悪いことをするほうが、怒りや不満が強いときには気分がいいのかもしれない。犯罪心理学の世界なんだろうな、こういうのは。

弱い立場のもの、女性や未成年を守るために、彼女ら自身にやってほしいことと、社会全体ができること。両方あると思う。(これは、被害者自身にも社会全体と同様に非があるという意味では全然ありません)

とかいっても、自分自身は腰が引けている。私のような中年世代がもっと女性の権利のために戦ってこなかったから今がある、というのも事実で、胸が痛いんだけど、この世代の女性はたいがい、自分ひとりでセクハラとパワハラ(ときに犯罪と呼べるものも含めて)から身を隠す、逃げ切ることで精いっぱいだったんじゃないかとも思う。受けてしまった被害のことを忘れることも含めて。

正直なことをいうと、韓国のほうがまだ正常なんじゃないかと、この本を読みながら思った瞬間もありました。日本はみんな表面的にはいい人を装ってるけど、同じくらいひどいことがもっと平然とまるで何でもないことのように日常的に行われている怖さがある。

私(たち)はもう心のどこかで諦めているけど、若い人たちには未来を信じる力がある。だから物語のヒーローはいつも若者なのだ。私は私にもできることをして、彼女たちをサポートしていかなければ・・・。