村上春樹「1Q84」本の272冊目

Book1(2009年発売)からBook3(2010年発売)の3分冊。1冊500~600ページ×3の大作です。Book1の発売からもう3年もたつんですね。図書館で借りようと思ってちょくちょく予約状況を見てたのですが、先週初めて書架に置かれているのを見てすぐに借りました。この人の長編小説は全部読んでますが、この読書ブログで感想を書くのは初めてです。

感想、書くの難しいですね。完成度が高すぎて、嬉しいとか哀しいとか好き嫌いとかという感情が起こらないし、批判的なことを言う気にもなりません。なにも破たんせずに収束。あ、でも個人的には、青豆が怒ると恐ろしい形相になることとか、女友達といちいち裸のつきあい(温泉に入るとかではない)を経てから心を許すところとかは、なくてもいいです。青豆が強すぎるとか、天吾が煮え切らないとか、もうそういうのには慣れました。

読み終わった気分は、ほの明るいハッピーエンド風の結末にもかかわらずうすら暗くて、面白いTVゲームをやり終えたときや悪い予感のするニュースを見たときの気持ちに似ています。村上春樹の作品には、読者を廃人にする黒い力があって、読み終わってもその世界(猫の町、あるいは1Q84、みたいなあっち側の世界)から魂が戻ってきていないという状況が発生します。夜空の月を見上げてやっと、「…そっか月が二つなんてありえないよな、天体だし」と思い至るくらい、意外と深く汚染されます。

リトルピープルがまたあっちの世界で出てきたのに放ったらかしで帰ってきちゃったというキモチワルさ(落ち着かない、くらいの意味です)、いくら極悪人でも殺しちゃだめだよという常識、なんでこの人の作品の登場人物は愛と性を完全に区別できるんだろうというモラル。…実はそんなものは大した違和感ではなくて、フィクションなのでその程度のことは自分のなかで消化できます。

それより、わたくしごとですが、私は「大権力」という顔のないものを想定して、それに立ち向かう小さな個人という立場でものをいうことが好きじゃありません。巨大組織のほとんどが多分小心者の小市民を集めたもので、そこには空気と呼ばれる何かに流されやすい人たちと、無責任に人を振り回すのがうまい人たちがいるだけではないかと常々思っています。自分たちとまったく違う人たちではなく、せいぜいピカチュー(自分たち)とライチュー(奴ら)くらいしか違わない人たちが、集団になると戦争とかしちゃうから人間は恐い。

村上春樹エルサレム賞受賞スピーチは、「自分は大権力という壁にぶち当たって割れる卵の味方だ」というような内容だったので、私がいかにも嫌いそうなことを言っていると思っていたのですが、この本で青豆とマダムは、ある団体に真っ向からでなく裏口から入って、特定の個人をピンポイントで静かに征伐します。人違いだったら大変だ。しかし当たっていたらすごく強力で、私ごときの批判に値しない有効な攻撃方法なのかもしれません。・・・集団悪、というものを発生させない方法や壊滅させる方法になら、私も興味があります。そんなことをつらつらと考えたりしながら、もうしばらくは1Q84に片足を突っ込んだように暮らしていくのでしょう、私は。

では今日はこの辺で。