ブレイディみかこ「女たちのテロル」834冊目

今「テロ」と呼ばれている行動は、昔の日本では「テロル」と呼ばれてた。たしか。このタイトルの「テロル」は彼女たちの活動がテロルと呼ばれていた頃の呼び名なんだけど、「テロ」とするとちょっと過激に見えるので、テロルとすることで少し手に取りやすい気がする。(手に取れは内容の過激さはわかるけど)

取り上げられているの3人の女性活動家は、日本の金子文子、エミリー・デイヴィソン(女性参政権を求めて戦ったUKの”サフラジェット”)、マーガレット・スキニダー(アイルランド独立戦争の敏腕スナイパー)。

ブレイディみかこさんの小説「両手にトカレフ」を読んでこの本にも興味を持ったわけなんだけど、この本はノンフィクションでありつつ、3人の女性活動家の世界を「クラウドアトラス」とか「イントレランス」みたいに行ったり来たりするように巧みに構成されています。遷移には共通のキーワードが使われています、「死」「独立」「蜂起」自分自身を生きる」等々。しかしこのキーワードを見ても、どこか刹那的で楽観性がない。みかこさんの書くものの芯にあるものは「立て、戦え、女たちよ、虐げられたものたちよ」というメッセージだと感じているけど、古今東西、女たちの蜂起を描いた映画や小説は当事者の死で終わるものが多い。<すみません、以下ネタバレになってしまうので知りたくない方は数行飛ばして読んでいただければと思います>「テルマ&ルイーズ」「プロミシング・ヤング・ウーマン」とか。この本の3人のうちマーガレット・スキニダーは79歳まで生きたけど、ほかの2人は若すぎる。正義に生きる女性には自分を顧みない人も多いのか、若くして散る話をよく見る印象だけど、できれば図太く生き抜いてほしい。。。なんでかというと、こういう本を読んでいると、ぼんやりと(どうすれば私も潔く散れるかな)なんて思い始めてしまうから。最近、定年退職後みたいな生活を満喫するなかで、もうやることはあんまり残ってないんじゃないか?と思ったりしていることもあって。でも死ぬ理由も大儀もない私は、きっと健康に気遣ったりしながら、誰かの次の著作やまだ見てない名画を楽しみに、1日、1週、と生き延び続けるんだろうな。それならせめて、彼女たちの語り部にでもなれたらいいけど、私は誰を語り継げばいいんだろう?

語り部としてのみかこさんは、文中にも出てくる瀬戸内寂聴さんに近づいてきてるような感じもしました。それにしても、二人とも女たちの性について必ず触れるのはなんでだろう?その二人の間にあったかなかったかはそれほど大きな問題ではなくて、その先のが種々多様だと思うので、詳述できない(知りようがない)なら特に触れなくてもいいと思うんだけどな・・・(たぶん相当レアな意見だと思います、すみません)