村山由佳「PRIZE」1285冊目

Audibleで聴きました。

最初は、いろんな出版社の人が次々に登場するので、それぞれを認識しようとがんばったり、主役の天羽カインの暴言が私の苦手なタイプだったりして、この世界に入っていくのに少し苦労しました。ナレーションはかなりうまくて、女性なんだけど男性キャラクターも女性キャラクターも口調だけで誰だかちゃんと区別できるんだけど、やっぱり天羽カインのちょっとキンキンした声色は頭の中にガンガン響きます。
この作家の作品を1冊ちゃんと読むのは初めてで、どういう世界なのか想像できなかったのもあるし、直木賞受賞作家がその実在の賞の裏側について書くなんて、ちょっとゴシップのようだし露悪的な気もするし。こんな大胆なテーマで書くということは、自分の体験をそのまま書くわけないので、実際には起こらないことをあえてフィクションのなかで実現したという部分もあるんだろう。…など、心構えをどうするかも迷いました。

場ができて、登場人物像も出そろって、架空の出版社の熱量高い女性編集者の存在感がどーんと立ち上がってきたあたりから、読んでてなんだか胸苦しくなる一方、早く続きを知りたい気持ちが高まってきて、ここから結末に至る盛り上がりが、圧巻でした。

私にも、これはゲームだよ、やるなら勝った方が面白いよね、という場面になると、無駄なくらい一生懸命になってしまうことがあります。もし私が直木賞を狙う作家だったら、編集者や評論家と対策チームを作って、徹底的に自己を消して賞捕りプロジェクトに邁進してしまうかもしれません。文学者としてのプライドを一瞬、消す。それで受賞できたら達成感はあるだろうけど、その後何を書くか?と考えたとき、初心に戻って自分らしいものはもう書けないかもしれない。(何の経験もないことをただ想像してみただけです、すみません)

「承認欲求」という言葉は、一般の人のSNS投稿について言われることが多いと思いますが、作家もアーティストもスポーツ選手も、世に出ている人、著名な人たちにはあるのが当然、強くて当然で、顔や本名を隠していたとしても、作品や業績は認められたいものだと思います。でも誰から?どの程度?どのように評価されたい?と考えると、楽曲や本の売り上げ順位と違って、賞って判断がものすごく俗人的で主観的で、お前らなんかから選んでもらってもうれしくないよ、ということだってありうると思います。その一方で、誰が各賞に権威を与えてるのか考えると、ニュースに取り上げるかどうかという判断を意外とどこかの新聞や報道局が、単に歴史の長さで決めた以前の上長の判断を何の見直しもせずに受け継いでるだけかもしれません。ノーベル文学賞以外では芥川賞か直木賞が日本では最も権威のあるものとして、受賞があれば亡くなったときに併記される、っていう判断基準そのものがちょっと気持ち悪い気もします。

そんなすごいもんなのか、と思って、若い頃に「芥川賞全集」(受賞作だけを集めた全集があったんですよ)を読みまくったことがありました。感動して名作だと感じるものもあれば、共感がぜんぜんできない作品や、癖があって好きになれない作品も多くて、結局主観なんだなと納得しました。話のタネにするためなら、受賞作を斜め読みするのもいいけど、読書は私としては自分の楽しみのためにするものなので、受賞の有無は参考程度にとどめようと思ったのでした。

これって映画も同じというか、映画の場合もっと自分自身の好みが強くて、キネ旬で一位を取ろうがパルムドールを取ろうが、嫌いなものは嫌いと言いやすい。これは映画が、原作や監督や出演者や制作者、大勢の人たちが関わって作られるものだから、いろんな面で好き嫌いが分かれやすいからかな。一人の小説家が苦労して書いた小説をけなすのは、その人を否定するようで。どんな人でも考え方や生き方は変わっていくものなので、ある作家の作品すべてを同じように好きでいること自体が難しいのに。

こういう小説って「中の人」が一番夢中になって読むと思われ、文藝春秋のサイトに載っている編集者と著者の対談とかがすごく面白かったです。タブーなんじゃないの!?と思ってしまうようなテーマをあけすけに書いてしまうのって、ネットで醸成されがちな陰謀論とか変な秘密主義とかと対極で、ああやっぱり誰だって欲もあるし暴走したり失敗もあるよな、という人間どうしの共感みたいなものも生まれるので、ためらわずにどんどん書けばいいんだよな、読んでよかったよね、と、なんだかとても心が健康になったような気分です。

この人の他の作品も読んでみなきゃ。