栗田シメイ「ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス」1107冊目

予定のない休日にカレーを食べたあと、足を延ばしてくだんのマンションの前まで行ってどんなところか見てきました。こんなに大規模な秀和レジデンスがあったのか!というくらい大きくて、一枚の板のようにひらべったい構造。古いマンションだと思えない、築10年ですと言われたらそうかと思いそうな外観。静まりかえっていて、隣に駐車場の広いローソンがあって、そういえばここ何度も前を通ったことがあるなと思い出していました。

でそのまま近隣の書店でこれを買って、カフェであっという間に読了。いちマンション住民として、他人事とは思えません!

私はマンションと呼べる集合住宅には2カ所しか住んだ経験がないけど、2つとも管理「会社」を変える経験をしました。交渉にあたった理事の方々の苦労は相当のものだったと思います。でも管理「組合」は住民代表組織なので、現管理組合役員を退任させて新体制を構築するのは、政治におきかえてみると、与党から野党が政権を奪還するくらい半端なく難しいはず。有志の住人の方々の、まさに命がけの努力がやっと実って本当に尊敬の念をおぼえます。

試しにこのマンションの一室の販売価格を検索してみたら、おそらく場所や築年数、広さなどを勘案した妥当な相場価格暗いと思われる金額でした。このプロジェクトに関わった方々には、ゆくゆくはちゃんと価値向上による差益を得てほしいなと思います…。

前会長の独裁的なやり方は「熱心過ぎたがゆえの善意」と書かれていて、実際そうなのかもなという気もしますが、旧体制の方々によるお金の流れの不明さについては、あまり糾弾されておらず、実名で本のタイトルになっているマンションにその後も住み続けている方々への配慮なのかなと思いつつ、いまひとつスカッとはしないです。

こうならないように、区分所有者のみなさん、議事録はちゃんと読みましょう、総会には出席しましょう。

 

背筋「口に関するアンケート」1106冊目

Audibleで1時間という小品です。雑誌に掲載できそうな、テレビの15分くらいのシリーズの1回に使えそうな、ボリュームです。口頭のアンケートに若い男女が次々に答える、という体裁で、山奥の墓地で起こった出来事がだんだん明らかになります。怪談の語り口が新しくて今どきらしいんだけど、起承転結もあって、もしかしたらこれ落語にもできるかも。というより、そもそも、いろんな人が語るのって落語の構成かも。

小さいけど、くだらなくないし、ぴりっとする。こういうのをどんどん書いてもらえたら面白そうです。

 

ラテン語さん「世界はラテン語でできている」1105冊目

スペイン語の勉強を始めてから急に、雑誌や車や食品、その他さまざまな名称の意味がわかる瞬間が起こるようになって、ラテン系言語を一つ勉強しておくと世界が広がるなーと思っていました。フランス語、イタリア語、ポルトガル語なども含むそれらの語源がラテン語です。タイトルを見てさっそく読んでみました。

とはいえ私は言語マニアではないので、「ふんふん」とうなずきながら読むのにとどまります。娯楽本ではないもんな…。いや、むしろ、ラテン語スペイン語(私がちょっとだけ知っている)やほかの言語を対比して、ラテン語の語尾変化とかについてがっつり解説してもらったほうがよかったのか?そもそも私はラテン語の何が知りたかったんだろう。

その辺、私の気持ちとこの本はどこかかみ合わない部分があったみたいで、すごく興味深いのになんとなくな感じで読んでしまいました。

 

綿矢りさ「パッキパキ北京」1104冊目

綿矢りさが吹っ切れた一作、と聞いて、楽しみに読み始めました。設定は、だいぶ年上の堅い会社員と結婚した元銀座のホステスの若い女が、北京に行ってたくましく異郷を楽しむ、ってことになってるんだけど、あけすけで図太い文章を読んでると、実際にご主人の仕事でしばらく北京に住んでいたらしい綿矢りさのエッセイにしか見えなくなってきます。この人の本質が外国にあってとうとうそのまま出てる、という感じ。今まで「可愛い」「若い」というオブラートで目を遮られていた読者も、もしかしたらオブラートの中で世間に遠慮してた著者も、外国に行ったら全部そんなの吹っ飛んでしまって、素のままのサバイバルが始まった、みたいな。

だって「この町にはほんといろんな赤がある」「体感で200色以上」なんて、その場にいた人にしか書けない。

この主人公は徹頭徹尾やりたい放題で、そのまま最後まで突っ走る。痛快なんだけど、もっと先を読みたい。。。この子日本に帰ってきちゃうのかな、もっと北京でやりたい放題やってくれたら面白いのに。

…北京滞在エッセイを書かずに、自分をこの主人公とすげかえて小説を書いちゃうところが、創作者たるゆえんなのかな。

さて。この小説に登場するいろんな麺類や中国の若者の生態は、日本にたくさん来ている中国のあらゆる地方からの留学生の生態と一致するはずなんだけど、この小説の中は異世界のように感じてしまいます。すごい勢いで増殖している、日本語のメニューが頼まないと出てこない”マジ中華”の店は、おそらく北京で主人公が体験しているような店なんだけど(麻辣以外の味を私の舌では感じなかったので、たぶん同様の店なんだろう)、日本語学校の中の彼らはシャイだし一生懸命日本語しゃべってるし、私から見るともう「日本にいる外国人」になっている。多分私だって、ウズベキスタンでは、やたらエキゾチックなものに浸ってハイになっている調子にのった観光客にしか見えない(日本映画の登場人物みたいに東京でまじめに暮らしてる姿なんて現地の人は想像もしない)だろう。まだまだ。超えたい国境は身近なところというか、私の心の中にあるのかもしれないな…。

川﨑大助「フィッシュマンズ 彼と魚のブルーズ」1103冊目

「映画フィッシュマンズ」、「THE LONG SEASON REVIEW」と見てSpotifyでずっとフィッシュマンズをかけていたらすっかりはまってしまった。佐藤伸治フィッシュマンズの人々がどう生きていたのか知りたくて本を読みました。

まず気づいたのはこの著者のことば選びの丁寧さ。ロッキン・オンって私も若い頃読んでたけど(というか子どもの頃か、小6から読んでたからな)、天才的だったり幼児のようだったりするアーティストたちとちゃんと付き合ってインタビューするのって、”技術”じゃなくてリスペクトとか相手を理解しようとする努力だな、このライターの人たちすごいなと思ってました。川﨑氏はアーティストが嫌がりそうなクリシェを避けるし、自分の感覚器がキャッチしたことを自分から出て来たことばで表現することに関して、とても誠実だなと思います。たぶんこの人、介護の仕事とかやったら利用者の人たちに好かれそう…やらないだろうけど。

しかしこの本は分厚い。翻訳書か。微に入り細に入り、時系列的に彼らの音楽のことが語られるので、初めてフィッシュマンズをデビューシングルで知った人のように追体験できるのはありがたいけど、ファンになることを目的としているわけではないので、ときどき読み飛ばしてしまう。…ながらも、随時でてくるアルバム名や曲名でまたSpotifyYouTubeで聞いてみる。どれもいい。

この本を読んでる間から読み終えてもずっと、「ナイトクルージング」とか彼らの曲が脳内ループしてるんだけど、昨夜、夢の中に、佐藤氏のお母さんが彼の小さい頃のことを話していた明るい部屋から、晴れた窓の外へふわっと飛び出してしまいそうな光景が出てきた。違う、人間は空を飛べないから、窓は閉めておかなきゃ、と思うのに、たましいが軽くなって外へ出たがる夢。…あぶない、うっとりして天国に連れていかれてしまいそうだ。と夢の中で思ってた。

自分より音楽のことを大事にする人が好きだと、星野源が「おんがくこうろん」で言ってて、ほんとそうだよねと思ったけど、あまり厳しくなると自分や周りの人たちを痛めつけてしまうよね。それでも年をとってくると、いろんなものに痛いほど反応してたのがだんだん鈍くなっていくから、苦しくて死にそうなときは繭みたいなものにくるまって、さなぎみたいになって、違う自分ができるのを何週間も何年も待ってていいと思う。誰か一人が「~なきゃならない」ものなんてないのだ。

 

小田川綾音「ルーベンです。私はどこで生きればよいのでしょうか?」1102冊目

アルメニア人の迫害の話は、ネットニュースかなにかで見たことがあったけど、それがどれほどのものか、明確な認識はありませんでした。いじめる人がいる、ということだけではなくて、本来の給与が一部、あるいはまったく与えられないとか、暴力をふるわれるというのは国外へ避難するのに十分な理由になると思います。

ルーベンさんのバイタリティや努力はただもうすごいと思うし、迫害される人たちってどうしてこう、ここまで繰り返し繰り返し、どんな人であっても力を失くすほど、あらゆる場所で、続けられてしまうんだろう、と思います。人間はそもそも、誰かを攻撃したい生物なのだとしか思えなくなってきます。攻撃される側はたいがいもっとも弱い人たちで、決して「悪い人たち」ではない。

連想してしまうのが適切かどうかもわからないけど、冤罪でもと死刑囚となっていた袴田さんのことを思い出してしまいます。希望を持ち続けて数十年、がんばれるだけがんばったのに執行が近づいてきて、心までさいなまれていく。

あの事件の報道を見ながら、尊敬すべき彼のお姉様が、あれほど活動を熱心に続けなければ、彼が一人っ子だったら、彼女がそれほど活動できない別の事情があったらどうなっていたんだろうと考えました。つまり、一人ぼっちだった同様の人たちは、誰にも理解されずにそのまま命を落としていったということなんじゃないか。恐ろしい想像です。

私たちにできることは、第一にまず、いかなる形でも誰かをいじめないこと。身近な人から手助けをすること。さらに、もっと遠くにいる人も助けられたらいいけど、誰の身近なところにもさいなまれている人は必ずいるから、他の大陸の人たちを気遣う前に半径10メートルから始めて、みんなが同じようにすれば、あたたかい世界が広がっていくんじゃないか…。きれいな夢に過ぎないのかもしれないけど。

まず、ルーベンさんに私ができることを、考えてみますね。

 

伊予原新「藍を継ぐ海」1101冊目

しみじみと、自分や世界を肯定したくなる短篇集でした。いいなやっぱりこの人の作品は。

最近とても嬉しいんだけど、不幸を消費するような(「お涙ちょうだい的」ともいう)小説がバカ売れするのではなくて、傷ついた心にそーーっとくっついてあっためてくれるような、本当にやさしい小説が高く評価されたり、よく売れたりしている話を聞くことが多い。傷ついた人が読んでも二次被害にあわないような小説。傷ついてる人ってたいがい、自分自身なにかやらかしたという罪の意識があって、ちょっとした刺激に弱くなってる。この人の小説に出てくる人たちは、みんな明らかにちょっと不完全で、私たちと同じように、小さな失敗をやらかして、下手すると誰かを大きく損ないかねなくて、びくびくしている。彼らを弾劾したり追い詰めたりする人は、いるけど遠くにいて、不完全な彼らはそれほど大きく損なわれない。やらかしたことを知っている人たちの中で、傷がだんだん治って、前より少し強くなれる。

とりあえず、明日からのゴールデンウィークには、海に行きたいなぁ。素敵なビーチのカフェとかより、ゴロゴロいろいろ埋まってる狭い砂浜とか、古い船が係留されてる小さな漁港とか…。