綿矢りさ「パッキパキ北京」1104冊目

綿矢りさが吹っ切れた一作、と聞いて、楽しみに読み始めました。設定は、だいぶ年上の堅い会社員と結婚した元銀座のホステスの若い女が、北京に行ってたくましく異郷を楽しむ、ってことになってるんだけど、あけすけで図太い文章を読んでると、実際にご主人の仕事でしばらく北京に住んでいたらしい綿矢りさのエッセイにしか見えなくなってきます。この人の本質が外国にあってとうとうそのまま出てる、という感じ。今まで「可愛い」「若い」というオブラートで目を遮られていた読者も、もしかしたらオブラートの中で世間に遠慮してた著者も、外国に行ったら全部そんなの吹っ飛んでしまって、素のままのサバイバルが始まった、みたいな。

だって「この町にはほんといろんな赤がある」「体感で200色以上」なんて、その場にいた人にしか書けない。

この主人公は徹頭徹尾やりたい放題で、そのまま最後まで突っ走る。痛快なんだけど、もっと先を読みたい。。。この子日本に帰ってきちゃうのかな、もっと北京でやりたい放題やってくれたら面白いのに。

…北京滞在エッセイを書かずに、自分をこの主人公とすげかえて小説を書いちゃうところが、創作者たるゆえんなのかな。

さて。この小説に登場するいろんな麺類や中国の若者の生態は、日本にたくさん来ている中国のあらゆる地方からの留学生の生態と一致するはずなんだけど、この小説の中は異世界のように感じてしまいます。すごい勢いで増殖している、日本語のメニューが頼まないと出てこない”マジ中華”の店は、おそらく北京で主人公が体験しているような店なんだけど(麻辣以外の味を私の舌では感じなかったので、たぶん同様の店なんだろう)、日本語学校の中の彼らはシャイだし一生懸命日本語しゃべってるし、私から見るともう「日本にいる外国人」になっている。多分私だって、ウズベキスタンでは、やたらエキゾチックなものに浸ってハイになっている調子にのった観光客にしか見えない(日本映画の登場人物みたいに東京でまじめに暮らしてる姿なんて現地の人は想像もしない)だろう。まだまだ。超えたい国境は身近なところというか、私の心の中にあるのかもしれないな…。