D.A. ノーマン「誰のためのデザイン?」164

ずーっと前に買ってあった本を連休中にやっと読んだ。

「デザインとは」を考える人が必ず読むべき本のように言われている本。

読んだ印象は、アート関連とは思えない、ビジネス書(いかに売れる製品を開発するか、の範疇)ですね。これがアートとビジネスの接点だとしたら、ずいぶんビジネス寄りです。

「ここでいう「デザイン」ってどの範囲?」の答は、見た目というよりモノの設計、ユーザーインターフェース+その裏にある仕組みすべて、というくらい広いです。

で、この本のテーマは、読む前は「人間工学(予想される人の自然な動き)に従った設計をすべき」だろうと予想してたんだけど、むしろ「失敗学」・・・「人が起こす誤りを見越した設計をすべき」ということでした。荷物が合計3つ以上になると必ず1つ置き忘れる、ヒューマンエラーの見本のような私としては、少し励まされる内容でした。

欧米の電気機器って、特にUIがすぐれたものしか本に出てこないし、輸入されることもないから知らなかっただけで、ずいぶんひどいのがいっぱいあったんだなぁ。日本では発売される前に却下されるだろう、というものもたくさん載ってました。アメリカ人がこういう本を書くのっていいことだと思うけど、「経験価値マーケティング/経験価値マネジメント」と同じで、East Asiaでは当然のことを仰々しく取り上げることで、欧米では「目からウロコ!」とか言って騒ぎ立てるのだな。

三鷹光器の社長が、望遠鏡をマイナス30度でも調節できるよう、余裕を持たせて作った話をしてた。脳内用顕微鏡も、手術中に医師の視界をさえぎらず、作業がしやすいように(ミスをしにくいように)頭の上からアームが下りてくる設計にした、と言ってた。そういう配慮がモノの側にあると、心配事が少なくて済むので、気分が楽なんですよね・・・。

「デザイナーが賢ければ」エラーを回避する仕組みを作れるだろうに・・・といった文章がよく出てくるけど、ここでいうデザイナーは製品の設計責任者だろうか、と思う。会社に「デザイナー」と呼ばれる人が存在するとしても、ケーキの最後のデコレーションをするくらいの微調整をする権限しか持たないことも多いんじゃないかな・・・。

考えうるヒューマンエラーの8割くらいはやらかしてしまう私は、コンシューマーモデルとして金を出して雇ってでもテストに参加させるべき存在ではないかと思うんだけど、すぐれたプロの人たちはオバサンの言うことに耳を貸そうとはしないものです。ジョブスは「カリスマ」がつく普通のオバサンで、彼がワガママと称する強制力を発動するからアップルはコンシューマー(あるいはマニア?)が喜ぶ製品を作れたのでは・・・。

第6章に「Creeping featurism(なしくずしの機能追加主義)」のことが書かれています。ユーザーが求める機能を律儀に追加しつづけて、やがてどでかく重たく複雑怪奇なモンスターができあがるという話。どこかで聞いたような話だ・・・。「ユーザーがなくて困ると言っている機能のほとんどが、すでに入っているのに気付かれていない。隠れた機能をもっと使ってもらうための仕組みを考えてるんだ」という話を聞いた後でリボンというUIが発表された。長年のユーザーである私としては、位置を覚えてたボタンが見つからなくなっただけなんだけど、このバージョンが初めてという人には便利なんだろうか?機能を減らすという勇気は、どうしても持てないらしい。

ユーザーが本当に求めているものを作ることが、収入減につながるとわかっている場合、私企業はふつう減らす決断はしない。もっと見込みのある新しいビジネスを開発できれば、そのビジネスを捨ててそっちに資源を注入するべきだけど、縦割りの組織ではそれも無理。

てかこの本が書かれたのは1988年・・・Windowsのバージョンはまだ2だ。ならMacやVisiCalcしか褒めないのも無理もない。(著者が評価してるポイントには共通のコントロールや標準化されたプラットフォームも含まれるのですが。)