ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」318冊目

ビートジェネレーションとか、ボブディランとかの文脈で、この本と著者の名前を聞いてたのですが、旅に出るときには旅行記を持って行くことにしてるので、今回ニュージーランドにこの本を同行させてみました。

 

「放蕩記」というタイトルは、林芙美子の本よりこっちに合ってる気がする。
それくらい、アメリカの若い男の子が憧れるあらゆる楽しいこと、わるいことの限りを尽くしています。
金を持たずに旅に出て、ヒッチハイクして恋をして、酒を飲んでパンを盗み、クスリをやりながらヤバい奴らと朝まで話し込む。

 

何がそんなにすごく楽しいんだろ、あれこれ女の子をとっかえひっかえしたりして。
実のところ、根本的にほとんど共感できなかったのは残念なんだけど、自由になれた気分だけでも共有させてもらった。私が想像してたのは、ムーミンに出てくるスナフキン(またはボブディラン)のような、冷めた顔をした詩人たちが、世をはかなむようなことを言いながら旅を続けるという世界。しかしこの本を貫いているのは、著者ではなく、彼が憧れる”カウボーイ”、ディーン・モリアーティなる人物で、彼は少年院に入ってたこともあるヤンチャ者なのですが、スポーツ万能、熱いハートと情熱的でフレンドリーな語り口の自由人。ジャックケルアック自身はインテリっぽい人のようなので、彼に出会わずに旅に出ていたら、私がイメージするような渋い旅行記になっていたのかもしれないけど。ディーンのイメージはアメリカ映画のなかのポールニューマンとか、今ならちょっと若い頃のブラッドピットみたいな、愛される憎めないワルって感じかなと思います。

 

そこまでしないと自由って気分が味わえないのかな?西部の荒くれ者みたいなのがインテリの憧れなのかな。
この本が爆発的に売れたということは、アメリカのかなり一般的な感覚に近かったんだろうとも思います。

 

でも、わかるなと思ったのは、彼らが最後にメキシコに行き着いたときの反応。自分たちとまったく違う、まっすぐな目をした人たちに出会って、彼らの音楽や祭りのしかたに目を見張る。白人が初めて黒人音楽に出会って恋におちたときも、そんな風だったのではないかと思います。

 

あと「吠える」が手に入ったら、ビート派初級編が完了かしら。
私としては、ふーんそうなのかと思いながら、自分なりの自由をこれからも追い求めてみようと思います。